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  <title>WIZ COLUMN</title>
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  <modified>2008-02-20T10:18:13Z</modified>
  <tagline>Contemporary Architectural Essay</tagline>
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  <copyright>Copyright (c) 2008, kitazawa</copyright>
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    <title>建材の認定偽装問題</title>
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    <modified>2008-02-20T10:18:13Z</modified>
    <issued>2008-02-20T19:10:32+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2008:/blog/wiz/10.441</id>
    <created>2008-02-20T10:10:32Z</created>
    <summary type="text/plain"> ニチアスが建材の耐火性能試験で不正を行っていたと国土交通省が発表したのは昨年（...</summary>
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      <![CDATA[<BR>
<TABLE border="0" cellspacing="0" width="450" >
<TR><TD>
ニチアスが建材の耐火性能試験で不正を行っていたと国土交通省が発表したのは昨年（2007年）の10月30日のことである。その後、東洋ゴムや日本軽金属、YKK-APや住友スリーエムなどの大手メーカーにまで偽装があることがわかった。2008年1月25日に発表された国土交通省の実態調査の結果では、45社98件に不正の疑いがあるとされた。

<P>
メーカー側は改修費用を負担すると言っているが、施工箇所がわかっているような物件なら改修も可能だろう。しかし、仕上っている部分を剥がしてやり替えるとなると大変な作業である。マンションなどで使用箇所がわかったところで、既に居住されている場合などは、工事などほぼ不可能であるように思う。

<P>
しかしもっと問題なのは、施工時の資料が既に無く、どのメーカーの製品が使われているのかわからない場合である。さらに、施工業者が既に無い場合だってある。これは耐震偽装の比ではない。構造計算書は必ずあるから、後からでもチェックすることは可能だが、製品納入伝票などはそんなに長い間残していない。それに、偽装された製品は特殊なものでなく、普通に使われるような汎用品がほとんどである。どこでも使われている可能性はあるのだ。

<P>
建築設計者は建材を指定する立場にある。ということは、こういう製品を選んでしまった時に責任が発生するのだろうか。このことは重大な問題だ。知らぬこととは申せ、将来起こるかも知れない被害の拡大に手を貸してしまうことになるからである。こういう場合、法律的には過失になる。では、製品を選んだ時点での責任はどうなるのか？

<P>
その問題についてKEN-Platzで秋野卓生弁護士がこのように答えている。

<P style="margin-left: 10px">
<A HREF="http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/kenzai/20080128/515510/?bzb_pt=0" TARGET="_BLANK">「建て主責任となる恐れも」秋野卓生弁護士（KEN-Platz）</A>

<em>
<BR><BR>
『瑕疵担保責任』は請負契約を結んだ施工者が負担すべき責任で、この場合、瑕疵が顕在化したら過失がなくても責任を負わねばなりません。これを『無過失責任』と言います。このため施工者がいったん建材の交換や改修を行い、その費用を偽装メーカーに求償することになるわけです。メーカーと工務店の間には売買契約があり、偽装品を納品することはその契約に違反している、という解釈です。

<BR><BR>
ただし、契約約款として標準的な『民間(旧四会)連合協定工事請負契約約款』を用いている場合、この部分があいまいになります。同約款は、『設計者の指示による図面・仕様書に適合しない施工については、施工者は責任を負わない』としているんです。設計者の指示で当初予定していた建材を変更したなどが当たると思います。

<BR><BR>
建築設計委託契約は『債務不履行』で解決することが基本となっています。瑕疵担保責任とは違い、債務不履行の責任は『過失責任』ですから、過失がない場合は責任を負いません。大臣認定書を確認して選定した場合、過失があるとまでは言えないのではないでしょうか。
</em>
</P>

つまり偽装された建材は瑕疵に当たり、現時点での過失が無くても改修を行う責任は、まずは施工者にある。しかし施工者は、売買契約違反によりメーカー側に損害を請求できる。結果、偽装したメーカーが責任と費用を負うことになる。このあたりは至極まっとうな考え方である。

<P>
一方、設計者はどうか。我々は大臣認定の真偽など今まで疑ったこともないから、わざわざ偽装材料など指定することなど決してない。設計業務は委託契約であるから、知らずに選定した場合責任が無いとの見解でほっとした。安い設計監理料の上、さらに面倒に巻き込まれたらたまったものじゃないというのが正直なところだ。

<P>
しかし、監督官庁は建築確認申請業務を大混乱させた国土交通省である。メーカー側の大臣認定にかかるコストを使用者に負担させるようなスキームを考え出さないとも限らない。こんな不祥事が起きると、ますます余計な負担が増えて、良いデザインの建築が建てにくくなるような気がしてならない。


</TD></TR>
</TABLE>
<BR>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>改正建築基準法は建築に死をもたらすか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/archives/2007/10/post_25/" />
    <modified>2007-10-22T09:06:43Z</modified>
    <issued>2007-10-21T19:04:30+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2007:/blog/wiz/10.428</id>
    <created>2007-10-21T10:04:30Z</created>
    <summary type="text/plain"> 構造計算書偽造事件が、再び建築界を揺るがせている。姉歯事件によって審査が厳しく...</summary>
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    <dc:subject>Actualite</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://www.rollingage.net/blog/wiz/">
      <![CDATA[<BR>
<TABLE border="0" cellspacing="0" width="450" >
<TR><TD>
構造計算書偽造事件が、再び建築界を揺るがせている。姉歯事件によって審査が厳しくなった改正建築基準法が6月20日に施行されたのだが、それに滑り込むように今回のマンションの建築確認がなされたということだ。改正建築基準法では、従来の確認期間21日を大幅に超える日数がかかるとの心配から（実際その通りなのだが）、期間短縮のために偽装したというのがこの物件での真実であろう。

<P style="margin-left: 10px">
<A HREF="http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/91176/" TARGET="_BLANK">なぜ見逃されたのか　繰り返される耐震偽装（iza）</A>
</P>

しかしマンション設計の業務においては、改正建築基準法の施行云々とは関係無く、常に時間に追われているのが実情ではあるまいか。マンション・ディベロッパーは土地を購入し、そこに分譲マンションの計画を行うのであるが、ほとんどの場合、彼らは商売の論理からしか事業を考えない。したがって、土地購入が流れたときに無駄金が発生しないように、土地取得前に設計事務所に仕事は発注せず、土地取得後は、できるだけ早く建築して営業経費を切り詰めようとする。それゆえ、設計・工事には厳しい工程が突き付けられる。にもかかわらず、それらを無難にこなしたとしても収入が増えるわけでもない。
<P>
だが、こんな高額なマンションが売れているのである。

<P style="margin-left: 10px">
<A HREF="http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/84369/" TARGET="_BLANK">超バブル「２億ション」好調（iza）</A>
</P>

この記事によると、最上階の5階の170平方メートルの物件は3億6800万円。そのうち土地代金が2億円以上を占めるらしい。建物の外観はタイル貼り、内装も舶来のキッチンや大理石を使っているといっても、建築には坪100万円もかかっていないはずである。ということは、この部屋の建築費は高くても6000万円。ディベロッパーはこの一戸で5000万円以上の粗利益をあげているはずだ。

<P>
翻って、設計料はどうか。設計料は建築費における料率で決められるから、基準となるのは3億6800万円という販売価格ではなく、6000万円の方である。料率を3〜8%くらいと考えると、高くても480万円がこの一戸分の設計料である。人件費やら、事務所経費が同じようにかかっているにもかかわらず、設計者とディベロッパーの利益に10倍以上もの差があるのは正常なことなのだろうか。旧高松宮邸の隣とはいえ、あまりにも土地価格と建築費の比率が尋常ではないように思える。このような土地本位制の経済が、90年代のバブル崩壊後も連綿と続いており、いまだにそこにしか日本経済の浮揚を託せないのは、政府の政策的失敗ではなかろうか。

<P>
だが、それは長期的な問題である。緊急なのは、改正建築基準法により確認申請業務に多大な混乱が生じていることだ。そしてそれは、今後の日本経済にも暗雲をもたらそうとしている。

<P style="margin-left: 10px">
<A HREF="http://www.asahi.com/life/update/1013/TKY200710130218.html" TARGET="_BLANK">７・８月の住宅着工、３割減　耐震偽装で審査厳格化（asahi.com）</A>
<BR><BR>
<em>　改正建築基準法が６月に施行されて以降、新築住宅の着工戸数が７、８月の２カ月間で前年に比べて３割以上のかつてない落ち込みを記録している。耐震強度偽装事件を教訓に、建築確認の審査が大幅に厳格化されたためで、マンション建設の遅れや建設資材の出荷減など、景気への影響を懸念する声も出始めた。<BR>
　建築基準法は昨年６月に改正され、今年６月２０日に施行された。国土交通省によると、新築住宅の着工戸数は６月が１２万１１４９戸で前年比６％増えたのに対し、７月が８万１７１４戸で同２３．４％減、８月が６万３０７６戸で同４３．３％減。８月の下げ幅は過去最大という。（以下略）</em>
</P>

確認を厳格化するのはよいが、大臣認定の建築プログラムも完成していない中途半端な状況で見切り発車したため、申請日数も最大70日もかかる。その70日にしても、必要な書類を作成提出する作業を設計者が行っている期間は含まないのである。したがって、三、四ヶ月もかかっている物件もあると聞く。こんな現状がわかってくれば、当然、誰もがもう少し様子を見ようとするだろう。設計者にしても、以前に比べて膨大な資料作成に時間がかかるため、どれくらいの経費を申請業務として計上すればよいのか慎重にならざるを得ない。

<P>
ましてや、先ほど述べたように、設計料は十分でないにもかかわらず、改正基準法による罰則は厳しくなり、設計者への責任は重くなるばかりである。こんな状況で、建築デザインの良し悪しなどあったものではない。さらに、今までは多少の変更は報告だけでよかったのであるが、今後は構造に少しでも関わる変更は、申請を再度出さねばならなくなった。工事途中でのクライアントの要望等での変更が困難になるため、最初から詳細に設計をしておかねばならない。ということは、今までに比べて設計期間が必要ということである。だがそのような事が、資本の論理で動くマンション・ディベロッパーなどのクライアントに通用するのか。建築設計者は非常に困難な状況に置かれてしまった。

<P>
ようやく政府も、今回の改正建築基準法が大きな問題を引き起こしていることを認めざるを得なくなったようだ。

<P style="margin-left: 10px">
<A HREF="http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/07/071016_.html" TARGET="_BLANK">改正建築基準法の施行に関する追加措置について（国土交通省　住宅局建築指導課）</A>
<BR><BR>
<em>　６月２０日に施行された改正建築基準法につきましては、確認申請手続の円滑化が図られるよう、各種情報の提供、建築関連の中小企業に対する金融支援措置等を講じてきたところですが、さらなる追加対策を講じました。<BR><BR>
　
　建築確認・建築着工減少の影響を受ける中小企業に対する金融の円滑化の要請<BR><BR>

　大工・工務店や建築資材関連業者など建築関連の中小企業への資金繰りなどの経済的影響が懸念されることから、政府系中小金融機関によるセーフティネット貸付及び既往債務の返済条件の緩和等の措置を講じたところです。<BR>
　今般、さらなる追加措置として、民間金融機関による金融の円滑化を図るため、建築確認・建築着工減少により資金繰りに影響を受ける健全な中小企業向けの資金の円滑な供給への配慮と、全国銀行協会等の各金融関係団体に対する同趣旨の周知徹底を、金融庁に対し要請しました。</em>
</P>

これによると、国土交通省住宅局長名義で金融庁監督局長宛に「建築確認・建築着工減少の影響を受ける中小企業に対する金融の円滑化について」という文書が発令された。（国住生第206号　平成19年10月16日）この中で、国土交通省も「建築確認等の手続が大幅に遅延し、建築着工の激減を招いている」事態をついに認めているのである。だが、その理由を「改正内容について設計者、建築確認審査担当者等の関係者が熟知していないこと、行政実例が蓄積されていないこと等」などと言い、大臣認定プログラムの遅れなどの自分たちの非を一切認めていない。役人根性ここに極まれりである。

<P>
誤解のないように言っておくが、僕はここで、設計業務の増加に伴う報酬についてとやかく言いたいわけではない。現在の法の運用では、クライアントと設計者が対話しながら建築を作ることを、著しく制限してしまうことを指摘しておきたいのである。最初からすべてを見通せる人間など存在しない。常に試行錯誤を繰り返しながら進んでゆくのが、僕達の人生なのだ。それを、最初から見通しておけと法は言う。不満があっても我慢せよとも言う。だがそんな状況では、良きデザインなど決して生まれるはずがない。建築物は建っても「建築」は創造できない。

<P>
今後日本の「建築」はどのようになるのだろう。デザインがどうの、美がどうのという前に、制度による表現の自由への介入が、一層増大してゆくに違いない。東浩紀が「環境管理型社会」と呼んだ社会の到来を、図らずも実感することになったわけだが、思想としての権力論については、また別の場で論じてみたいと思う。とにかく現在の我々の緊急課題は、制度による「建築の死」がおこらぬよう、戦略を考え実行することである。

</TD></TR>
</TABLE>
<BR>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>京都の新景観条例　その後</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/archives/2007/08/post_24/" />
    <modified>2007-08-08T15:23:46Z</modified>
    <issued>2007-08-09T00:19:52+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2007:/blog/wiz/10.414</id>
    <created>2007-08-08T15:19:52Z</created>
    <summary type="text/plain"> ２月５日付のブログで予想したとおり、京都の高層マンションの価格が上昇している。...</summary>
    <author>
      <name>kitazawa</name>
      <url>http://www.rollingage.net</url>
      <email>kitazawa@wiz.design.co.jp</email>
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    <dc:subject>Actualite</dc:subject>
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      <![CDATA[<BR>
<TABLE border="0" cellspacing="0" width="450" >
<TR><TD>

２月５日付のブログで予想したとおり、京都の高層マンションの価格が上昇している。産経新聞夕刊（８月８日）にも同様の記事が掲載されていたのだが、京都の景観には大きな問題なので全文を引用しておこう。

<P style="margin-left: 10px">
<A HREF="http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/74726/" TARGET="_BLANK">京都市、景観条例を逆手に　のっぽマンション価格高騰（iza）</A>
</P>

<P style="margin-left: 10px">
<em>
　京都市で、眺望を売りにした「のっぽマンション」の価格が高騰している。建築物の高さなどを規制する新景観政策が９月にスタートするため、新たな高層物件が建てられなくなる地域が増えるからだ。現行基準で建築確認を「駆け込み取得」した新築マンションでは、上層階の価格が下層階の２倍にのぼり、「今だから提供できるプレミアム物件」を最大限にアピール。この影響で中古物件も値上がりしているという。新景観政策を逆手にとったビジネスに、市は「違反ではないが…」と困惑している。
<BR><BR>
　京都市の繁華街・四条烏丸地域に建設中の高級分譲マンション「サンクタス四条烏丸」。建設予定地は新たな景観条例により、９月以降高さ制限が４５メートルから３１メートルに引き下げられるが、このマンションは１４階建てで高さ約４５メートルの計画。平成２１年に完成を予定しており、今年５月に現行基準で最終の建築確認を取得した「駆け込み物件」だ。
<BR><BR>
　１２階より上の階層を「プレミアムフロア」と名付け、坪単価にして下の階層の約２倍の４００万円以上で販売。９月以降、周辺では二度と建てられない高さだけに、絶好の眺望をアピールしている。
<BR><BR>
　すでに１４０戸中１３２戸で契約が成立。事業主のオリックス不動産（東京）の広報担当者は「上層階は部屋の仕様をハイグレードにしており、（条例と価格設定に）直接的な因果関係はない。ただ、規制前に建築確認が下りたので、通常の高層階のプレミアム感をさらに創出するのはデベロッパーとして当然」と説明する。
<BR><BR>
　こうした影響は、中古マンション市場にもじわじわと広がっている。不動産関係者によると、市内中心部では中古物件も、高層階部分の価格が軒並み値上がり。１０〜１４階部分を以前より１０００万円程度高い価格で販売し、坪単価では、以前は１５０〜２００万円だった物件が上層階では約１．５倍の価格設定となることが多いという。
<BR><BR>
　京都のマンション事情に詳しい不動産コンサルタントの天野博氏（５９）は「景観政策を明確に意識して、９月以降に周辺に高いマンションが建たないことを利用した売り方。ただ、上層と下層で価格設定が２倍というのは、さすがに聞いたことがない」と指摘。さらに、「中古マンションでも『プレミアム現象』が起きているため、販売業者が強気の姿勢を見せている」と話す。
<BR><BR>
　一方、新景観政策を推進する市景観政策課は「既存の高層マンションの場合、９月以降に条例にひっかかるとしても違反ではない。価格設定はマーケットの問題で、市が指導できるわけではなく、コメントしようがない」としている。
</em>
</P>

結局、デベロッパーは、地域文化などになんの興味もない。オリックスの宮内氏は、ホリエモンや楽天ーTBS問題に関わっていることが取りざたされていたが、さもありなん。文化事業や都市デザインすら、彼らにとっては金儲けのネタでしかないのである。

<P>
それにしても、上層階の坪単価が下層階の２倍にもなっているとは驚きである。いくら高いところが好きなお馬鹿さんが多くとも、４〜５階程度の差では、京都の夜景に大差がないことがわからないだろうか。方角によっては、大文字の送り火が見えないことだってありえる。おそらく、カネ余りしている東京や海外の資本が、プレミアムと言う言葉に踊らされて買いあさっているのだろう。

<P>
だがこのようなことが続けば、地価の異常な高騰を招き、京都の町にも悪影響が出てくる。コミュニティーが破壊され、景観が破壊され、経済が破壊される。市は「価格設定はマーケットの問題で、市が指導できるわけではなく、コメントしようがない」などと無責任な態度のようだが、とんでもない。僕ですら、新景観条例が発表されたときに、このような事態を予想できたのであるから、もしも条例策定時に予想し、対応について考えていなかったとすれば、行政の大きな怠慢であると批判されても仕方がなかろう。京都市長の責任も重大である。

<P>
資本の論理で動いている輩に対して、文化への理解をいくら語っても仕方のないことは、バブルの時代に十分学んだはずである。資本には金で対抗するしかない。おそらく不動産の高騰に対して京都市が対抗できる唯一の政策は、固定資産税の購買価格での課税である。付加価値のインフレーションが都市景観政策のネックとなる訳であるから、土地・建物だけでなく、当然その部分にも課税すべきだ。高層住居を購入できるお金持ちには、きちんと税金を払ってもらいましょうよ、というお話である。

</TD></TR>
</TABLE>
<BR>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>地域への建築家の役割</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/archives/2007/08/post_23/" />
    <modified>2007-08-08T08:45:18Z</modified>
    <issued>2007-08-08T17:27:10+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2007:/blog/wiz/10.413</id>
    <created>2007-08-08T08:27:10Z</created>
    <summary type="text/plain"> 「なぜ無責任な建築と都市をつくる社会が続くのか」という本を読んだ。著者の中崎隆...</summary>
    <author>
      <name>kitazawa</name>
      <url>http://www.rollingage.net</url>
      <email>kitazawa@wiz.design.co.jp</email>
    </author>
    <dc:subject>Urbanization</dc:subject>
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      <![CDATA[<BR>
<TABLE border="0" cellspacing="0" width="450" >
<TR><TD>

「なぜ無責任な建築と都市をつくる社会が続くのか」という本を読んだ。著者の中崎隆司氏は生活環境プロデューサー・建築ジャーナリストということである。生活環境プロデューサーっていう仕事をよくは知らないが、プロダクトからまちづくりまでの調査・企画・設計をすることだそうだ。モノ・カネ・ヒトをつなげる情報産業といったところなのだろう。

<P>
著者は商品開発から町おこしまで様々な企画に携わってきた経験があるようで、語られる内容の一つ一つはとても具体的である。それゆえに、問題点の指摘にも説得力がある。例えば、昨今の狭小住宅ブームについてはこのように苦言を呈している。

<P style="margin-left: 10px">
<em>
狭小住宅にも限度があると思うが、現在の限度のひとつは九坪ということのようだ。九坪とは畳十八枚、約三十平米だ。超ミニ開発が行われているということなのだ。一般的にはミニ開発は建売業者が行うのだが、超ミニ開発には建築課と称している人たちが協力している。むしろメディアを通して狭小住宅の需要を煽っている。狭小住宅は住宅取得の機会を広げるという意見があるが、それは個の欲望だけを優先する考え方だ。狭小住宅は生活環境の悪化につながる密集市街地を新しくつくることになる。
（前掲著　＜狭小住宅に建築家の未来はない＞　p25）
</em>
</P>

確かに、我々のような設計事務所に住宅を依頼するクライアントの中には、ハウスメーカーが建設できなうような敷地を購入した人も多い。これだけの資金で何とかしてくださいという話である。せめて土地購入前に相談してもらえれば、地域・土地・住宅を総合的に計画できるのにと思うのだが、一般の人はそのようには考えない。

<P>
まず、環境のいい地域に住みたい！（芦屋、西宮・・・とか）でも、融資金額の総額は決まっているから、広い土地は買えない。さらにアプローチも悪い。でも、ここしかない。で、最後に、こんな生活がしたいから、これこれの部屋を作ってください。お願いします、ってことになる。建築費用は最後に残った分しかないのに、要望は天井知らずに高い。

<P>
こんな状況で、待ってましたとばかりに、雑誌に載っているようなイメージのワンルームタイプの住宅を提案すると、クライアントもコロッと納得。何しろ、コストカットのためにチープにならざるをえない空間を、メディアが格好いいといってくれているのだから。

<P style="margin-left: 10px">
<em>
建築家は個人と社会のバランスを考えられる人たちであり、個人の夢や希望を社会の夢や希望として表現できることができる人たちである。ところが、個人の夢や希望が社会の夢や希望につながっていかないことから、建築家本来の役割を演じることができないでいる。日本の社会に建築家に託す夢や希望がなくなっているのだ。だから、建築家の選び方も評価されたブランドを購買するのと同じようになっている。社会が夢や希望を持ち、その実現を託さないと、すぐれた建築家は育ってこないし、美しい国をつくることもできない。（前掲著　＜夢を託されなくなった建築＞　p37）
</em>
</P>

すべての建築家が慧眼の士であるとは言い切れないが、そうあるべきだと日々格闘していることは事実である。しかし個人の権利意識が増大している昨今では、建築において町並みや地域性といった公共精神を語ることは、時代遅れのように考えられているかも知れない。建築家の中にも、思考の表現だけが建築で最重要だと錯覚している者も多い気がする。

<P>
著者が問題としているのも、まさにその点である。地域を活性化するためのコンサルタントとしてアイデアを求められながら、なぜ物事がうまく進まないのか？<BR>
行政の役人体質、住民のリーダー不在といった理由もさることながら、地域の経済的な疲弊というのは、国の政策的な失敗による部分も大きいように感じる。構造改革によって民の手法が導入されたものの、地方の補助金頼みの体質は一向に改善されていない。故に、独自性のあるものを自主的に始めることができないのである。

<P>
では、デザインコーディネーターに頼ればよいかというとそうではない。よそ者頼みの安易な町おこしは、日本全国で同じような画一的なものになる危険がある。

<P style="margin-left: 10px">
<em>
地域ブランドづくりに大きな予算をかける必要はない。又デザインコーディネーターも必要ない。彼らが連れてくるデザイナーと組んでも成功することはない。地域で生活するデザイナーを育て、ゆるやかな人と人のつながりのなかから無理をしないでもできることをやればいいと思う。そのような機会と場所は無数にある。（前掲著　＜銀座ショールームが東京都地方をむすぶ＞　p155）
</em>
</P>

大学で建築や都市環境を学んだ学生は、毎年1000人以上社会に出ている。にもかかわらず、建築設計業界はますます自閉的なデザイン論に向かっている。ジャーナリズムの責任も大きいが、日本の公教育が機能していないのが最大の問題である。こういう時代だからこそ、コミュニティー・アーキテクトといわれる、自らの地域に関わりながら住民を支援する建築家が、今後ますます必要になろう。

<P>
デザインを社会的な文脈で活用するようなフィールドで、我々も働きたいと思っている。建築家と地域活性化についての関係について、中崎氏に同意する部分は多い。ただ、一箇所だけ矛盾を感じるところがあった。それは、注目されている建築家を使えと書いてあるところだ。上記の地域のデザイナーを育てよとの提言と、全く逆じゃなかろうか。

<P style="margin-left: 10px">
<em>
最新のデザインは建築雑誌の取材が期待でき、情報誌、女性誌の取材につながっていく。マスコミを活用することで集客力を高めることができる。（前掲著　＜客数を増やすことが観光地の活性化の決め手になる＞　p175）
</em>
</P>

マスコミを利用するのは大いに結構である。しかし、すでに有名になった建築家のネームヴァリューを使うというのは、公共団体が実績重視で組織事務所を選ぶのと根は同じである。公開コンペを行うなどして、地域に夢をもたらしてくれる案を住民が選べる方法が最善ではなかろうか。当然建築家も、斬新な提案ができる能力をつけなければならないのは言うまでもない。


</TD></TR>
</TABLE>
<BR>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>都市について考える</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/archives/2007/07/post_22/" />
    <modified>2007-07-31T02:34:58Z</modified>
    <issued>2007-07-28T01:08:47+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2007:/blog/wiz/10.409</id>
    <created>2007-07-27T16:08:47Z</created>
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    <dc:subject>Urbanization</dc:subject>
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      <![CDATA[<BR>
<TABLE border="0" cellspacing="0" width="450" >
<TR><TD>
僕たちは「都市」という言葉をよく使うのだが、その概念を一言では説明できない。社会的・経済的・政治的・美学的・・・様々な観点からのアプローチが可能な「都市」を、あたかも十分に理解しているかのように語り合ってしまう。だが「都市」という同じ言葉を使いながら、互いに同一のイメージを抱いていることなど、ほとんどないと言ってもよいのではないだろうか。

<P>
とはいうものの、都市問題は人類全体の主要問題である。<BR>
ここでは、建築家の菊竹清訓が書いた<A HREF="http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070321/srn070321000.htm" TARGET="_BLANK">＜東京湾に新しい「空港都市」を建設＞</A>（産経新聞「正論」 2007/3/21)という文章を手がかりにして、「都市」への思考を進めてみたいと思う。

<P>
菊竹清訓は1928年生れ。丹下健三が綜合プロデューサーとなった大阪万国博覧会では、エキスポタワーの設計を行う。黒川紀章、川添登らとメタボリズムを提唱し、建築や都市に対して理念的な活動を行ってきた建築家である。したがって、彼が

<P style="margin-left: 10px">
<em>日本の第一印象は空港で決まる。すなわち空港に未来が欲しい。当然、東京は日本の活力を示すものであってほしいので、東京湾の空域をもっと生かした「新国際空港都市」という発想も検討に値しよう。（菊竹　「正論」）</em>
</P>

と語るとき、丹下健三の「東京計画1960その構造改革の提案」がだぶってくる。その計画について、丹下は下記のように説明している。

<P style="margin-left: 10px">
<em>もはや東京は「都心」という求心的な構造の概念にとらわれていてはこれ以上の発展は望めない。そこで都心から東京湾にスパインを伸ばした場合にどういうことが起こるか提案してみたのである。これを「シビック・アクシス」と名付け、具体的な構想を練った。<BR>
こうした私の構想は、単に東京という一つの都市の未来像を描いたというわけでなく、「構造主義」という新しい概念として受け入れられた。それはひとつひとつの機能を如何に働かせるかということだけではなく、それぞれを如何に結びつけ、全体を構造づけて行くかという考え方である。（丹下　HP）</em>
</P>

<A HREF="http://www.ktaweb.com/works/image/tmp/tmp01.jpg" TARGET="_BLANK">計画案の写真</A>を見ればわかるとおり、東京湾に軸線を通して都市を展開してゆくという壮大な計画であり、都市の変容をいかに捉えるかという思考実験でもあった。菊竹が語る空港も、丹下同様、機能の集積が新しい形態を生むというモダニズム論理の延長上にあり、その結果都市機能までも併せ持つとするものだ。

<P>
確かに、共同体と共同体との間、共同体の周辺で行われる交易拠点としての「市」は都市の原型の一つである。人と物の流れが滞留する点が都市とも考えられるわけであり、空港は現代における「都市」とも言える。

<P style="margin-left: 10px">
<em>つまり、飛行機を利用する人々のニーズが変化し、その行動はもはや空港から母都市に出かけるというより、例えば国際会議のために、世界中から集まってきた人々が空港内の会議室でいきなり会議に出席し、空港内のホテルで食事を済ませ、時差をとるためジョギングやプールで運動したりして緊張をほぐし、そのまま帰国するといったこともできるようになってきた。日本からの会議参加者も空港ターミナルに集まってくるわけで、こうなれば、『空港都市』のイメージに近づいてくる。（菊竹　同上）</em>
</P>

インターネットで瞬時に情報が世界を駆けめぐる時代となっても、対面コミュニケーションは信頼感の基本であると思う。したがって、政治的、経済的に重要な局面では、今後も人的交流は維持されるであろう。だからそういった機能を空港に付加することは、当然のことではある。

<P>
しかしながら「空港都市」という概念は、あまりにインフラ重視の視点から語られているように感じる。空港がコンベンションセンター化すれば、当然そこで働く人たちのための住居や商業施設が建設されるだろう。しかし、だからといって、それが「都市」といえるのか。「都市」には経済活動だけではなく、政治的・文化的・宗教的な要素もなければならない。それら日常的事柄によって、人々はかろうじて、概念としての「都市」のリアリティーを掴まえることができる。しかしこういう感覚を、現在の都市論は論じきれていない。

<P>
アカデミズムの世界では、現存する都市の分類と保存という歴史-社会学的な立場か、人工的な環境の制御という政治-工学的な立場のどちらかしかないように感じる。しかし「都市」は、人間にとって常に現実的な問題であり、保守的な束縛からも権力的な強制からも自由であるべきだと僕は思う。精神-文化論的な視点を中心に、インフラや環境を統合してゆくこと。これらの方向にこそ、人間生活に即した「都市」のあり方を再構築するヒントがあるように思える。

</TD></TR>
</TABLE>
<BR>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>磯崎新の思考</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/archives/2007/07/post_21/" />
    <modified>2007-07-09T09:45:36Z</modified>
    <issued>2007-07-09T18:35:19+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2007:/blog/wiz/10.405</id>
    <created>2007-07-09T09:35:19Z</created>
    <summary type="text/plain"> 最近は、とんとメディアに出てこない感がある磯崎新。 今回、スーザン・ソンタグの...</summary>
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      <![CDATA[<BR>
<TABLE border="0" cellspacing="0" width="450" >
<TR><TD>
最近は、とんとメディアに出てこない感がある磯崎新。

<P>
今回、スーザン・ソンタグの「良心の領界」という本の中の、「この時代に想うー共感と相克」というシンポジウムに参加している彼の
発言について考えてみた。もっとも、スーザン・ソンタグについて論じているのであり、磯崎新のことは、反面教師として自戒する意味で少し触れている程度である。

<P>
したがって、建築のこのブログには載せていない。興味のある方は、下記までアクセスを。


<P>
<A HREF="http://www.rollingage.net/blog/rolling/archives/000404.html" TARGET="_BLANK">「良心の領界」　スーザン・ソンタグ</A>

</TD></TR>
</TABLE>
<BR>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>京都景観問題を考える</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/archives/2007/02/post_20/" />
    <modified>2007-02-08T04:02:01Z</modified>
    <issued>2007-02-05T18:29:03+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2007:/blog/wiz/10.376</id>
    <created>2007-02-05T09:29:03Z</created>
    <summary type="text/plain"> 大前研一が週刊ポスト（2/9号）の連載で、東京で行われている大規模開発は土地バ...</summary>
    <author>
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    <dc:subject>Urbanization</dc:subject>
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      <![CDATA[<BR>
<TABLE border="0" cellspacing="0" width="450" >
<TR><TD>

大前研一が週刊ポスト（2/9号）の連載で、東京で行われている大規模開発は土地バブルを引き起こさないと述べている。その理由は、事務所の賃貸料が社員一人あたり10万円を超えるようなレベルになると、一部の外資系企業以外は持ちこたえられないと言うものである。現在の好況感の下では、値上がり期待で土地を手放す人が少なくなり、ある程度の地価上昇は起こる。だが、それは青天井ではない。まとまった土地を地上げするコストが上昇すれば、当然事務所の賃貸価格も上昇するため、どこかで企業の業績とのバランスが取れるというのである。

<P>
確かに理論的にはその通りだと思う。しかしバブルとは、実体経済の予想を大きく超えて、人間の欲望が拡大してゆくことにより起こる。カネ余りの法人・個人は、さらなる儲けのために投資先を探す。東京以外で好景気な地域があるのかは疑問ではあるが、こうした資金が流れてきている現在の京都の中心部は、まさにバブルなのでは無かろうか。京都に愛情を持たない人達が、「京都」というブランドが金になると考えて市街地を買いあさった結果、坪あたり1000万円近くの値が付いている場所もあるそうである。結局日本人は、過去のバブルの経験から何も学んでいない。というよりも、日本人の根底にある土地神話がいかほど強いのかが、今回もまた露わになったのである。

<P>
その京都では、2006年に市が新たな景観政策の展開を発表し、喧々囂々の論争が起きている。その内容は多岐に渡っているので、詳細はその資料を読んで欲しい。

<P style="margin-left: 10px"><A HREF="http://www.city.kyoto.jp/koho/mayor/press/2006/0419.html" TARGET="_BLANK">平成１８年４月１９日桝本市長定例記者会見資料</A>
</P>

<P style="margin-left: 10px"><A HREF="http://www.city.kyoto.jp/koho/mayor/press/2006/pdf/20060419-01.pdf" TARGET="_BLANK">市長記者会見資料（PDF）</A></P>

<P>
その一つに、歴史的都心地区内の、いわゆる「田の字地区」の高さ制限を45mから31mに、職住共存地区の高さ制限を31mから15mに引き下げ、建築物の外壁デザインに対しても、色や形態の制限を設ける事が提案されている。実は、この内容が公表されると同時に、条例施行後に既存不適格になるマンション住民から多くの懸念が寄せられた。

<P>
「不適格な建築をすぐに建て替えなければいけないのか？」<BR>
「現在住んでいるマンションの資産価値が下落するのではないか？」<BR>
「町内でのマンション住民とその他の住民との間が不和になるのではないか？」<BR>
　・・・等々

<P>
京都市は、1991年に京都ホテル（現・京都ホテルオークラ）の建設に際して、市役所の向かいに総合設計制度によって高さ60mを認めた。確かに公開空地によって、歩行者の利便性は多少は高まったかも知れないが、市民が集う場所ができたとはとても言えない。僕自身は、明らかに都市景観行政の失敗だと思うのであるが、この点の検証についてはまた別途考察しよう。だが、その過去から一転して、高さの制限、デザイン規制という方向へ舵を切った市の景観行政の真意はどこにあるのだろう。果たして、確固たる哲学を持って京都の景観のことを考えているのだろうか。

<P>
先日、「歩いて暮らせるまちづくり推進会議」主催の、京都市の新たな景観行政に対する意見交換会に列席した。「田の字地区」における論争を中心に様々な意見が出されたのだが、住民からは程度の差こそあれ、市の唐突な景観規制案に否定的なものが多かった。情報が詳細に説明されていないために、住民が疑心暗鬼になっているのかも知れないが、中には自分の利益を守りたいという下心が透けてみる発言もあり、嫌な気分になった。たとえば、こうだ。


<P style="margin-left: 10px"><em>
「京都の町衆は、お互いご近所のことを気遣い、町のことを気遣い、大文字の送り火の時などは家の灯りを消したものである。」
</em>
</P>

確かに、素晴らしい心根である。だが、その唇が乾かないうちにこんな事を発言する。

<P style="margin-left: 10px"><em>「先日市役所でマンションの建て替えについて相談したが、高さを抑えた建て替えでは、現状と同じだけの面積は建てられないと言われた。お上の言うことを聞いて、我々はいつも損な役回りになる。」</em></P>

確かに京都市の新しい条例が交付されれば、31mを超えるマンションは既存不適格となる。しかし、すぐに建て替えなさいというものではない。マンションの建て替えを住民が決めたときに、新しい基準で建てなさいというものである。たとえ、現時点で高さ制限による土地の資産価値の下落がおこったとしても、建て替えする時に資産価値が低いままとは限らない。逆に僕は、31m以上にあるマンションの居室の価格は上がると思う。今後京都の中心地では、10階以上に住むことができなくなるのであるから、期間が限られているとはいえ京都の眺望を楽しめるという価値はかなり高騰するはずである。（予想は外れるかも知れないが・・・）

<P>
ともあれ、「他人のことを考える」といいながら「自分の利益のことしか考えていない」自己矛盾に、多くの住民は気づいていない。むしろ、「自分の利益を守りたい」とはっきり言って行政と議論する方が、お互いにとって実りある結果を導くはずだ。そうすることで現実的な合意点を見つけやすいからである。住民も行政も「京都のことを考えている」という点での違いが無ければ、どちらが「京都愛」が深いか、という精神論になってしまう。本当は、「自分の街を守るために、どこまで私権を制限することに合意するか」という問題なのである。行政は、市民の付託を受けて、その事務的手続きをしているに過ぎない。

<P>
京都は昔から「反東京（江戸）」の精神が強いところである。その京の町衆の末裔を自認するなら、自らの財産がどうのこうのとケチなことを言わないで、京都の将来のためにもっと厳しい制限を自らに課すくらいの意気込みを見せることはできないのだろうか。町衆の協力で設立された、日本で最初の近代小学校である番組小学校など、京都は新時代を切り開いてきたのである。決して不可能なことではないと思うのだが・・・。

<P style="margin-left: 10px"><A HREF="http://www.city.kyoto.jp/koho/contents/origin/index.html
" TARGET="_BLANK">京都発日本初</A></P>

<P>
果たして現在の京都が、日本人が抱いている京都らしさを保存しているか、はなはだ疑問である。その点については、じっくりと論じよう。しかしながら、京都に住む人々が、明確な京都の町の将来像を持っていれば、必ずや町はその想いに近づくはずである。意見交換会のゲストとして出席されていた立命館大学のリム・ボン先生は、「このような京都にしてしまったのは、行政じゃなくて京都市民なんですよ。」と言っておられたし、京都府立大学の宗田先生は、「行政は市民に敵対しているわけではなくて、もしも市民の意見が反映させられなければ、選挙によって意思表示ができる。それが民主主義なんだ。」と市民の責任を強調されていた。

<P>
こうした正論は、京都市民一人一人に届くだろうか。いや、もし届かなければ、いつまでたっても京都はまちづくりへの哲学を持つことができずに、現在の悲惨な姿を晒し続けることになる。そしてその結果、京都市民は責任を果たしていないと、世界中から批判されることになるのである。


</TD></TR>
</TABLE>
<BR>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>耐震偽装問題を考える</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/archives/2006/05/post_13/" />
    <modified>2007-09-05T08:18:05Z</modified>
    <issued>2006-05-17T17:06:44+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2006:/blog/wiz/10.333</id>
    <created>2006-05-17T08:06:44Z</created>
    <summary type="text/plain"> 2006年4月26日、耐震偽装問題の関係者が逮捕された。昨年11月17日に国土...</summary>
    <author>
      <name>kitazawa</name>
      <url>http://www.rollingage.net</url>
      <email>kitazawa@wiz.design.co.jp</email>
    </author>
    <dc:subject>Actualite</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://www.rollingage.net/blog/wiz/">
      <![CDATA[<BR>
<TABLE border="0" cellspacing="0" width="450" >
<TR><TD>

2006年4月26日、耐震偽装問題の関係者が逮捕された。昨年11月17日に国土交通省が、首都圏での21棟にのぼる構造計算書偽造物件を発表して発覚した事件であるが、果たしてこれで一件落着に向かうのだろうか。実際逮捕容疑をみても、偽装行為に直接関係する内容ではない。このような別件逮捕から、きちんとした解決へ果たして向かうのかどうか、全くもって疑問である。

<p>
逮捕された８人（呼称略）
<P>
【建築士法違反容疑】
<br>
姉歯秀次(48)　元１級建築士
<br>
秋葉三喜雄(46)　建築デザイナー
<p>
【建設業法違反容疑】
<br>
木村盛好(74)　木村建設社長
<br>
篠塚明(45)　同・元東京支店長
<br>
森下三男(51)　同・元専務
<br>
橋本正博(48)　同・元常務
<p>
【電磁的公正証書原本不実記録容疑など】
<br>
藤田東吾(44)　イーホームズ社長
<br>
岸本光司(66)　司法書士・同社元監査役

<p>
まず姉歯氏の罪状だが「１級建築士」の名義貸しである。書類に記載する資格と名前だけを貸してお金をもらうということだが、仕事の流れの中でこのような状況になっている人達は結構いるのではないかとも思う。厳密には罪なのだろうけど、倒壊する建物を平気で申請する事に比べればずっと小さな罪だ。さらに木村建設は粉飾決算、イーホームズに至っては資本金の水増しという、経済問題かと思えるような理由である。<P>

本当は木村建設が姉歯氏に圧力をかけたのか、ディベロッパーやコンサル会社が建設会社に圧力をかけたのか、我々はこのような事実が知りたいのである。イーホームズはただのぼんくらで確認申請の間違いを見落としたのか、それとも民間検査機関に確認業務をさせることに問題があったのか、こうした社会問題としての偽装事件を早急に論じて欲しいのである。しかし、被害者の気持ちを抑えるためだけのアリバイづくりのような今回の逮捕は、この偽装事件の本質を隠蔽していくような気がする。「官から民へ」の一環として確認検査機関が設立されたのであるが、日本の確認業務に時間がかかること、その煩雑さに対してアメリカが圧力をかけた結果とも言われている。ならば法律を作り施行している国の責任はどうなるのだろう。民民問題として片付けられない問題がここには大きく横たわっている。<P>

そして本日　5月17日、マンション販売会社「ヒューザー」社長、小嶋進社長(52)が詐欺容疑で逮捕された。耐震強度が不足していることを知りながらマンション販売を行ったというのが詐欺の内容である。確かにマンションが引き渡される
ことがなければ、入居者が多大な被害を受けることは防げたであろう。そのかわりヒューザーは倒産し、建設費を支払われない工事会社、その下請け会社も連鎖倒産したかもしれない。結局、誰かに負債が降りかかるのである。<P>

この耐震偽装という問題は、姉歯氏が勝手に構造計算書を偽造した個人の犯罪なのか。もしもそうだと結論するなら、彼をそこまで追い込んでいった建築業界に踏み込まねばならない。構造事務所だけでなく、意匠、設備事務所もあまりにも安い設計料しか支払われないため、なんとか継続した仕事を受けるためにクライアント側にばかり顔を向けてしまう。こうした事情を見ずして、問題の解決は行えない。一方、ディベロッパーやコンサル会社が躯体コストを指定するような圧力をかけていたとするなら、それは明らかに耐震性を犠牲にしろと言っているに等しい。その時は、彼らこそが犯罪の主体である。建設会社も姉歯氏もそれに従っていたにすぎないからである。警察はこのあたりの事情を果たして明らかにできるだろうか。<P>

だが犯罪の主体が明らかになったところで、被害にあったマンション購入者やホテル事業主に対して賠償金は支払われるのか。たとえ裁判が迅速に行われてその賠償責任が明らかになったとしても、名前が挙がっている当事者は、誰一人として被害者に対し賠償できる能力はないであろう。結局、被害者は国や地方公共団体からのわずかばかりのお見舞い金しか手にできず、大きな負債を背負って生きていかねばならない。しかしこの問題は、地震などの自然災害ではないのだ。人間が引き起こした犯罪であり、それらを防ぐ役目の確認検査機関が全く役立たなかったのだ。そして検査機関が国に認定されている以上、国は彼らに対し管理責任がある。「法律は確認業務は申請者の善意や能力を前提にしている」などと言っている者もいるようだが、法律に書かれていない行政指導を事細かに受けた経験のある私などは「今さら何を言うか」と怒りすら覚える。申請者の能力を信じているのなら確認など行わず検査を厳しくすればよいし、保証も含めた責任を果たすなら保険会社のような審査をして建築主や建物購入者を守るべきなのだ<P>

この耐震偽装問題の根は深い。建築設計と建築施工が明確に分かれていない日本的事情も、実は大きく関わっているとも思う。だが被害にあった人達にはそんなことは関係ない。安い物件に飛びついた購入者の自己責任だとは決して言い切れない問題が潜んでいる。犯罪がどのように立証され、賠償責任が誰に課せられるかは分からないが、確認業務という公的な機関が関わっている以上、とりあえず国が責任を認めて何％かでも被害者に対して保証するのが道理なのではないだろうか。

</TD></TR>
</TABLE>
<BR>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>東横イン不正改装問題</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/archives/2006/01/post_16/" />
    <modified>2006-02-13T06:41:25Z</modified>
    <issued>2006-01-29T00:04:29+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2006:/blog/wiz/10.218</id>
    <created>2006-01-28T15:04:29Z</created>
    <summary type="text/plain"> 建築完了検査後に改装されている建物はよく見かける。ただ今回の東横インはかなり悪...</summary>
    <author>
      <name>kitazawa</name>
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    <dc:subject>Actualite</dc:subject>
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      <![CDATA[<BR>
<TABLE border="0" cellspacing="0" width="450" >
<TR><TD>

建築完了検査後に改装されている建物はよく見かける。ただ今回の東横インはかなり悪質と言うことで摘発されたのだろう。

<P style="margin-left: 10px">
ビジネスホテルチェーン「東横イン」（東京都大田区）が全国の系列ホテルで、法律や市条例で義務付けられている身障者用設備や駐車場を、完了検査後に無届けで撤去する不正改造を行っていた疑いがあることが二十七日、分かった。（産経新聞）</P>

この記事にもあるように、今回は弱者に対する社会正義に反するがゆえに大きな問題になったのだろうが、本当に建築基準法違反を問題にするなら、とんでもない量の違反建築物を摘発せねばならなくなる。新聞社や放送局にしても、東京の立派な本社で偉そうにしている報道局員にはわからないだろうが、地方の社屋や営業所、販売所まで調べれば、大きな顔で東横インを責め立てられないはずだ。

<P>
さらに、建築に関わる法律には消防法というものもある。こちらの方は、建設後も立ち入り検査等があり指導が行われるが、商業ビルなどでは検査後に通路に商品を並べたり避難通路をストック代わりに使ったりしていることも多い。火事になったときに被害が大きくなる原因のひとつである。

<P>
マスコミも「耐震強度偽装事件」のことで建築主の不正に目を向けているのなら、目立った事件ばかりを追うのではなく、法律自体も含めた問題提起をしてもらいたい。建築基準法は、なにか国民の安全を守っているように思われているが、実は公共の福祉のために私権を制限する法律なのである。建築主が自分の資金で自由に建てることを認めないことは、今はやりの規制緩和とは反対なのだ。だからこそ、現代の風潮から法律を平気で破る人間が出てくるわけで、そのあたりのことを評論家もきちんと見定めてコメントして欲しい。とにかく建築をめぐる報道がなされる度に、不満が募る今日この頃である。

</TD></TR></TABLE>
<BR>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>2006年　年頭所感</title>
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    <modified>2006-02-13T06:41:05Z</modified>
    <issued>2006-01-04T00:34:57+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2006:/blog/wiz/10.212</id>
    <created>2006-01-03T15:34:57Z</created>
    <summary type="text/plain"> あけましておめでとうございます。 昨年末は、確認申請書偽造事件（所謂姉歯事件で...</summary>
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    <dc:subject>Actualite</dc:subject>
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      <![CDATA[<BR>
<TABLE border="0" cellspacing="0" width="450" >
<TR><TD>
あけましておめでとうございます。<P>

昨年末は、確認申請書偽造事件（所謂姉歯事件ですが、実際姉歯氏は大した役割は果たしていなかったのだろう）で建築業界は大荒れで幕を閉じた。今年もその問題が、政治的にも社会的にもいろいろと問題になるだろうが、やはりきちんと整理しておかなければならないだろう。今年は、そのあたりから建築界に切れ込んでいこうと思う。

</TD></TR></TABLE>
<BR>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>丸亀市猪熊弦一郎現代美術館</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/archives/2005/12/post_15/" />
    <modified>2006-02-13T06:40:57Z</modified>
    <issued>2005-12-14T20:27:59+09:00</issued>
    <id>tag:www.rollingage.net,2005:/blog/wiz/10.208</id>
    <created>2005-12-14T11:27:59Z</created>
    <summary type="text/plain"> 四国旅行紀　ー　８月３日・４日 前日の夕刻に金刀比羅宮奥社まで約一時間かけて登...</summary>
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      <url>http://www.rollingage.net</url>
      <email>kitazawa@wiz.design.co.jp</email>
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    <dc:subject>Actualite</dc:subject>
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      <![CDATA[<BR>
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<TR><TD>
四国旅行紀　ー　８月３日・４日<P>

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前日の夕刻に金刀比羅宮奥社まで約一時間かけて登った。途中の御本宮までは石段で上がって行けるのだが、そこから先奥社までは山道だ。最後の最後にある心臓破りの石段を登りきると讃岐平野が眼下に広がる。奥社からさらに先は修験道の道がある。日本人の信仰が自然、それも山岳に向かうのは、山が神の降臨する巨大な依代だからだろう。そこには、我々を活性化させるエネルギーが隠されているのかも知れない。奥社からの帰りに御本宮で参拝していると巨大な土地の陥没を発見。実は、そこは<A href="http://www.konpira.or.jp/news/loft/2003_2004/0010/2004_completion/2004_completion.html" target="_blank">緑黛殿</A>という新参集殿で建築家の鈴木了二が設計した施設なのだが、その時は時間外で閉まっていたため工事中なのかと思ってしまった。後にその施設が「村野藤吾賞」を受賞した施設であったことを知って驚いた。金比羅プロジェクトと名付けられたこの施設を追った<A href="http://www.acetate-ed.net/bookdata/007/007.html" target="_blank">書籍</A>も出ているらしいが、彼の深遠なる思想を、聖なる地に立つこの建築から感じられ無かったのは僕の修行が足りないせいか・・・？<P>

<a href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/kanamaru.html" onclick="window.open('http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/kanamaru.html','popup','width=800,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/kanamaru-thumb.JPG" width="200" height="150" border="0" ALIGN="left" ALIGN="top" hspace="15" ></a>

早朝、「こんぴら歌舞伎」の行われる「金丸座」を見学する。昭和５９年（1984）に中村勘九郎（現中村勘三郎）らが復活させた「こんぴら歌舞伎」だが、現代的設備のないこの小屋での人力を最大限に利用した興行というは、まさにアメノウズメの神話的世界に通じるのではないかと思う。昼間に太陽光を利用して行われる公演を、是非とも観てみたいものだ。写真は舞台下の回り舞台とせりの装置である。人力で舞台を回しながらせり上がりができるということに感動。<P>
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琴平を後に丸亀にある<A href="http://web.infoweb.ne.jp/MIMOCA/" target="_blank">「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」</A>に向かう。機会があれば訪れたいと思っていたのだが、ちょうど「ニューヨーク近代美術館[MoMA]巡回建築展　谷口吉生のミュージアム」も開催していた。建物は丸亀駅の前の広いパブリックスペースに面している。美術館も彫刻の置かれた広い前庭をもっているので、丸亀駅前は巨大な空地だ。しかし丸亀駅の乗降客が少ない上、この空地に緑も少ないため殺伐とした雰囲気であることは否めない。同じくらいの空間が大阪駅前にあったら、また違った状況になるのかもしれないな、と感じながら内部に入る。<P>
<a href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/inokuma.html" onclick="window.open('http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/inokuma.html','popup','width=800,height=450,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/inokuma-thumb.JPG" width="450" height="253" border="0" /></a>
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ひとりの芸術家のためだけに建てられた美術館はやはり余裕がある。現代絵画は作品そのものが表現する意味よりも、作品がある状況そのものが意味を持つ。設計者の谷口吉生氏は、さすがに多くの美術館を建てているのでツボは外さない。一つ一つの作品に必要な空間が与えられているために作品が生きている。さらに僕が気に入ったのは、最上階のカスケードプラザと呼ばれる滝のある庭園に面したカフェである。美術館に入らなくても利用でき、静かに時間が過ごせそうだ。このような場所が近くにあれば、頻繁に通ってしまいそうである。しかしながら本当に残念なことは、ここを訪れる人が非常に少ないことだ。ゆっくりと観るには良いのかもしれないが、平日の昼間とはいえこのような入場者数では市の負担も大きいのではないだろうか？瀬戸大橋経由で関西から日帰りで訪れることも出来るのだから、ＪＲや芸術系大学と提携してイベントを企画してはいかがなものだろう。ちなみにこの建物も村野藤吾賞を受賞している。<P>

丸亀を後にして高松自動車道を徳島へと向かう。徳島ではたいした宿にも泊まらず、翌日淡路島へと渡る。野島断層を保存している<A href="http://www.nojima-danso.co.jp/top.html" target="_blank">北淡震災記念公園</A>を訪れ、阪神・淡路大震災がいかに大きかったかを再確認した。地面が1ｍ！もずれるなんてことが実際に起きたのだから、ビルも家も倒壊するだろう。喉元過ぎれば何とやらで、最近は京阪神でも地震への対応が軽視されているように思えるが、建築を志す者として最低限人の命を守ることは常に念頭においていなければならない。<P>

明石海峡大橋を眺めながら一風呂浴びて、<A href="http://www.taco-ferry.com/" target="_blank">たこフェリー</A>で明石海峡を渡る。夕食はフェリー乗り場に近いイタリアンだ。トラットリア・ピッツェリア　CIRO（チーロ）という赤穂のさくら組にいた人が開いた店だ。雑誌で見て予約をしていたのでよかったが、店は満員。レモンと塩だけみたいな（決してそうではありませんが）大ざっぱな料理なのだが、新鮮な素材がとても良く生かされている。車の運転のせいでワインが飲めなかったのがとても残念だ。是非ともまた行きたい店であった。<P>

国内とはいえ久々の旅行だったが、やはり業と言うべきか「建築」を中心に計画を立ててしまう。しかしながら、行ったことのない土地にはそこで営まれる人々の生活があり、それらが生み出すデザインがある。そして、そういった刺激を受けることこそが、我々の人生を豊かにしてくれるのだと感じた三日間であった。


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    <title>イサム・ノグチ庭園美術館</title>
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    <summary type="text/plain"> 四国旅行紀　ー　８月２日 こんなところを曲がるの？というほどの細い路地に車を進...</summary>
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四国旅行紀　ー　８月２日<P>

<a href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/noguchi.html" onclick="window.open('http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/noguchi.html','popup','width=800,height=424,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/noguchi-thumb.jpg" width="450" height="238" border="0" /></a>
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こんなところを曲がるの？というほどの細い路地に車を進めていくと、美術館の受付のある木造の建物が見えてきた。既に２、３台の車が駐車場に止まっている。朝早く京都を出発したのだが、山陽自動車道、瀬戸中央自動車道のパーキングエリアで、こまめに休憩しながら走っていたのと、道を間違えて遠回りをしてしまったために、予約時間の午後１時にようやく間にあった。だから、先に昼食の讃岐うどん（<A HREF="http://www.yamada-ya.com/" target="_blank">山田家</A>）を食べる予定が逆になってしまった。<P>

受付の建物に入って手続きをすませる。さすがにイサム・ノグチは国際的にも有名なだけあって、外国人の訪問者も多い。また、野外を歩き回るため、傘（日傘にもなるらしい）麦藁帽、虫除けスプレーなども用意されている。今日は快晴ゆえに、完全防備が必要だ。<P>

まず、案内人と共に「石壁サークル」と呼ばれている作業場へと向かう。石壁を円形に積み上げた野外アトリエには、まるでストーンサークルのように、完成・未完成の作品が置かれている。展示されていると言うよりも、「あるべくしてある」という感じだ。イサムは、このように多くの石を同時に置いて製作していたそうである。また、完成品のいくつかは、隣接している農家を移築したギャラリーに展示されているが、それほど数は多くない。その上、不運なことに、現在イサム・ノグチ展が札幌、東京と行われるために、代表作の「エナジー・ヴォイド」が貸し出されていた。美術館のHPに載っている写真のように、藁入り土壁の前に置かれた作品を体験できなかったのはとても残念だ。<P>

次に、丸亀の豪商の屋敷を移築したイサムの住居を見学する。残念ながら、この建物は県の文化財になっているらしく内部にはいることができない。窓から覗き見ると、彼が洋式の生活と日本家屋を調和させるべく、床にレベル差をつけるなど様々な改造を施していることがわかる。引き戸や格子の意匠もさりげなくデザインされている。その建物の背後には、彫刻庭園と呼ばれる築山のある庭がある。築山は豊満な乳房の形をしていて、頂上には天然石が一つ立っている。イサムが模型まで作り、さらに何度も何度も手を加えた言われるその形は、彼の私的なエロティシズムを感じさせる。頂上に立つと、左手に屋島を右手に瀬戸内海を見渡せる。彼はこの場所をこよなく愛し、この景色をいつまでも眺めていたのだという。<P>

イサム・ノグチ庭園美術館は、確かに彼の代表作を集めて作られた美術館ではない。だが、彼が鑿をふるい、磨いた石たちがそこにあることは、牟礼町の海風・太陽といった自然が彼に与えた天啓の一端を、僕たちに垣間見させてくれるのだ。ここでは芸術作品が生まれ出でて、芸術作品と名付けられる瞬間に僕たちは立ち会うことができる。

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    <title>金沢２１世紀美術館で考える</title>
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    <modified>2006-02-13T06:38:58Z</modified>
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<a href="http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/kanazawa21-1.html" onclick="window.open('http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/kanazawa21-1.html','popup','width=1000,height=454,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.rollingage.net/blog/wiz/upload/kanazawa21-1-thumb.jpg" width="450" height="204" border="0" /></a><P>
エンターテインメントと芸術は違う。エンターテインメントがただ受動的に楽しみを消費できるのに対して、芸術とは世間の通俗性を否定することにより、常識で曇った目を見開かせてくれるモノである。したがって、その否定性を理解しようとする、また理解できる知性が芸術理解には必要だ。とはいうものの、創作された作品はそのどちらの要素も持っている。そう簡単にどちらかに分類することは難しい。<P>

そんなことを、最近「金沢２１世紀美術館」を訪れた折に、来館者の様子を見て色々考えされられた。２００４年１０月にオープンしたこの美術館には、いろんな仕掛けのある現代美術作品が多く、小中学生が総合学習の時間にやってくるには最適のスポットだろう。また、美術館のボランティアスタッフが色々と説明してくれるので、親しみやすい雰囲気だ。だがそれは、どこかディズニーランド的であり、これからの美術館の新しい方向だと言われたらちょっと首を傾げたくなる。現代芸術を楽しく感じ取ることも大切だが、そこに至る絵画の歴史などはきちんと子供に教えられているのだろうか？<P>

１０年以上も前のことだが、フィレンツェのウフィツィ美術館での光景を思い出す。有名なボッティチェルリの２枚の絵の前で、子供達十数人が座って先生の説明を受けている。だいたい、こんな時代を画するほどの名画が無造作に展示されていることにも驚いたが、日本だったら人だかりでじっくりと説明を聞きながら絵を見る事などとても不可能だ。イタリアの文化資産のすごさに打ちのめされながら、さらに子供達にきちんと自国の文化を教えていることに感心した。現代芸術が歴史の中に位置づけられてこそ、その意味のアイロニカルで知性的な側面が理解されるのに、楽しみだけかのように思われて消費文化のひとつとして子供の心に位置づけられるようなことになれば、それは明らかにミスリードである。<P>

京都での建築系学生卒業制作展での討論会で、ある学生が、金沢２１世紀美術館で野良仕事帰りのような老夫婦が歩いているのに出会い、今までの美術館で見た光景との違いを感じて、新しい美術館の試みは成功しているのではないか、というような発言をしていた。ちょっと待ってほしい。バブルの頃のばらまき行政で、どれほどの美術館や市民ホールが田園風景の中に突如として現れたことか。田んぼののど真ん中に美術館があって、人々が通り過ぎていっても、それを成功などとは呼ばないだろう。もしそれら箱物で、人々が新しい感動に出会って来たのなら、我々日本人はとうに世界一の文化度を誇る国民になっていなければおかしい。だが未だに日本の市民文化は消費文化でしかない。<P>

建築としてこの美術館をどの様に評価できるのか？という質問に答えるのは難しい。当然バブルの頃とは違ったミニマルなデザインなのだが、それが「何かが起こることを期待するプログラム」の結果であるというなら、あまりにもそれは無責任な考え方だろう。この美術館では、現代美術の様々な作品に対応するために空間は限りなく空虚に作られている。ガラスの外壁や白に統一された展示室ブロックも、建築のリアリティーを喪失させるべく意図されている。作品と人間の相互活動を見せると言うことは、コンセプチュアルな現代美術によくあるレトリックであるが、その点この美術館は申し分なくそれを実現している。だが、トム・ウルフの「現代美術コテンパン」(1984)が書かれて２０年も経った現在、開館記念展示に参加している何人の作家が、自らの存在意義を人々に認めさせることができるのか？<BR>
開かれた美術館という意図に反して、作家にも市民にも厳しい知性を要求しなければ存在意義が無くなるという現代芸術の袋小路を、この美術館は図らずも建築として表現してしまったように思うのである。
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    <title>平成通り抜け　って何？</title>
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    <modified>2006-02-13T06:38:37Z</modified>
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<TR><TD>
今日（１月９日）大阪で「桜の会・平成通り抜け」事業なるものがスタートした。小泉首相が来賓として参加し、植樹式が毛馬桜之宮公園で行われた。淀川河川敷を中之島まで桜並木で整備するということらしい。大阪府知事、大阪市長、関経連会長などが記念植樹をしていることから、大阪の官財界が後押ししているのだろうが、この事業ってどれくらいの大阪市民が知っているのか？小泉首相は、市民一人一人の参加は民間主導を提唱している小泉改革の発想だと挨拶したらしいが、市民からの募金をもとに推進する事業の割には、一体誰がどの様に市民のコンセンサスを得たのだろう？<P>

現在低迷している大阪の経済を活性化させるために、大阪の魅力を内外にアピールしようと考えることは悪くない。だが、数日前の新聞記事にもなっていたが、堂島川にリアルト橋（に似た橋）をという発想も今回の桜並木と同様の貧困さを感じる。大阪　→　水の都→　ベネチア　→　リアルト橋　という連想ゲーム程度のアイデアで、勉強会やら審議会やらに予算をつぎ込んでいるのかと思うと情けないやら悲しいやら。どこかにあるような名所を再現したとしても、その土地の歴史に根ざしたものでなければ、魅力は決して長続きしない。ディズニーランドのように資本を投下し続けることができたら話は別だけれども、大阪の自治体や財界にそのような力があるようにも思えない。野球球団ひとつも誘致できない文化レベルの大阪官財界は、むしろ話題を提供していればそろばん勘定が良くなると考えているだけなのじゃないだろうか？<P>

桜の記念植樹に、２１世紀を背負う意味で２０００生まれの幼稚園児が約３０人が参加したらしいが、市民が参加すると謳うなら３００人くらいが植樹する大イベントにして欲しかった。その幼稚園児が成人する頃には、日本の人口構造も変化して大変な時代になる。はたして小泉首相は、幼稚園の子供らを見ながら、未来の日本への責任というものを十分自覚していたのだろうか？<BR>
同じ夕刊の広告欄には「親同士の代理見合いフォーラム　開催」というのがあった。いまやNEETの子供達を抱えて、親たち同士がお見合いをするというおぞましい時代になっているのだ。恋愛という人間の根源的な感情が希薄になっている人達が増えてきていることは、何か殺伐とした現在の日本の状況とリンクしているように思える。確かに、結婚していない人に問題があるというのではない。ただ、物質的に豊かになっていくことで、他人ばかりでなく自分に対しても感情の振れを感じられない人が増えているのではと思う。今後日本は、物質文明と教育や文化という人の精神面を両立させていくことが急務である。そのためには、若い人達に積極的に参画させるようなシステムが必要だ。お役所が旗を振っていれば、嬉しがって市民がついてくる時代ではないことを政治家・官僚・財界人は真剣に感じ取って欲しい。<P>
（でも、荷宮和子が言うように、支配者は「愚民は愚民として差別し」たいのかもしれない。）
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    <title>「災」から考える</title>
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    <modified>2006-02-13T06:38:34Z</modified>
    <issued>2005-01-05T23:51:23+09:00</issued>
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<TR><TD>
阪神大震災の記憶も薄れてきていた昨年、まさに忘れた頃に台風、新潟県中越地震と立て続けに災害が日本を襲った。被災者数は阪神大震災よりも少なかったとはいえ、生活環境が激変する苦痛を多くの人々にもたらした。<BR>
そして、年末にインド洋沿岸に大規模な津波被害を引き起こしたスマトラ島沖地震。未だに被害の全容はわからないが、既に１５万人が亡くなっている。たった数時間でこれほどの人命を失うような悲劇は、我々の想像力を越えるものだとも言えよう。しかしながら、多くの日本人が楽しいはずの旅先で被災していることを思うと、地球上のどこにも確実に安全な場所はないのだということも肝に銘じる必要がある。<P>
阪神大震災の後、僕たち被災地やその周辺地域に住む者は、その悲惨な現実の中にあって自らの生き方を考えさせられた。だが震災の年も終わろうとする頃には、首都圏に住む友人にとって、震災はドラマの過去の１シーン程度になっていた。<BR>
建築の仕事はイマジネーション豊かな感性で支えられていると思われているが、自分の経験以上の想像力を持つことは非常に難しい。僕たちは、謙虚に自らの感受性を広げる努力をせねばならない。感動は驚きと共にあるかもしれないが、驚きは常に感動をもたらしはしない。驚きばかりを追求する建築は、津波の中に簡単に飲まれてしまうであろう。人の命を守り、生活に彩りを与え、健康な心身を保てることは芸術の条件ではない。それは、人間の最低限約束されている権利だ。その最低条件を満たした上で、人々に何か希望を与えられれば、人の心に残る時流に流されない建築となるように思うのである。<P>
最後に、スマトラ島沖地震・津波で亡くなられた人々に哀悼の意を表します。そして、復興への第一歩が素早く踏み出せますよう心より願っています。
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