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ニチアスが建材の耐火性能試験で不正を行っていたと国土交通省が発表したのは昨年(2007年)の10月30日のことである。その後、東洋ゴムや日本軽金属、YKK-APや住友スリーエムなどの大手メーカーにまで偽装があることがわかった。2008年1月25日に発表された国土交通省の実態調査の結果では、45社98件に不正の疑いがあるとされた。
メーカー側は改修費用を負担すると言っているが、施工箇所がわかっているような物件なら改修も可能だろう。しかし、仕上っている部分を剥がしてやり替えるとなると大変な作業である。マンションなどで使用箇所がわかったところで、既に居住されている場合などは、工事などほぼ不可能であるように思う。 しかしもっと問題なのは、施工時の資料が既に無く、どのメーカーの製品が使われているのかわからない場合である。さらに、施工業者が既に無い場合だってある。これは耐震偽装の比ではない。構造計算書は必ずあるから、後からでもチェックすることは可能だが、製品納入伝票などはそんなに長い間残していない。それに、偽装された製品は特殊なものでなく、普通に使われるような汎用品がほとんどである。どこでも使われている可能性はあるのだ。 建築設計者は建材を指定する立場にある。ということは、こういう製品を選んでしまった時に責任が発生するのだろうか。このことは重大な問題だ。知らぬこととは申せ、将来起こるかも知れない被害の拡大に手を貸してしまうことになるからである。こういう場合、法律的には過失になる。では、製品を選んだ時点での責任はどうなるのか? その問題についてKEN-Platzで秋野卓生弁護士がこのように答えている。
「建て主責任となる恐れも」秋野卓生弁護士(KEN-Platz)
一方、設計者はどうか。我々は大臣認定の真偽など今まで疑ったこともないから、わざわざ偽装材料など指定することなど決してない。設計業務は委託契約であるから、知らずに選定した場合責任が無いとの見解でほっとした。安い設計監理料の上、さらに面倒に巻き込まれたらたまったものじゃないというのが正直なところだ。 しかし、監督官庁は建築確認申請業務を大混乱させた国土交通省である。メーカー側の大臣認定にかかるコストを使用者に負担させるようなスキームを考え出さないとも限らない。こんな不祥事が起きると、ますます余計な負担が増えて、良いデザインの建築が建てにくくなるような気がしてならない。 |
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構造計算書偽造事件が、再び建築界を揺るがせている。姉歯事件によって審査が厳しくなった改正建築基準法が6月20日に施行されたのだが、それに滑り込むように今回のマンションの建築確認がなされたということだ。改正建築基準法では、従来の確認期間21日を大幅に超える日数がかかるとの心配から(実際その通りなのだが)、期間短縮のために偽装したというのがこの物件での真実であろう。
しかしマンション設計の業務においては、改正建築基準法の施行云々とは関係無く、常に時間に追われているのが実情ではあるまいか。マンション・ディベロッパーは土地を購入し、そこに分譲マンションの計画を行うのであるが、ほとんどの場合、彼らは商売の論理からしか事業を考えない。したがって、土地購入が流れたときに無駄金が発生しないように、土地取得前に設計事務所に仕事は発注せず、土地取得後は、できるだけ早く建築して営業経費を切り詰めようとする。それゆえ、設計・工事には厳しい工程が突き付けられる。にもかかわらず、それらを無難にこなしたとしても収入が増えるわけでもない。
だが、こんな高額なマンションが売れているのである。 この記事によると、最上階の5階の170平方メートルの物件は3億6800万円。そのうち土地代金が2億円以上を占めるらしい。建物の外観はタイル貼り、内装も舶来のキッチンや大理石を使っているといっても、建築には坪100万円もかかっていないはずである。ということは、この部屋の建築費は高くても6000万円。ディベロッパーはこの一戸で5000万円以上の粗利益をあげているはずだ。翻って、設計料はどうか。設計料は建築費における料率で決められるから、基準となるのは3億6800万円という販売価格ではなく、6000万円の方である。料率を3〜8%くらいと考えると、高くても480万円がこの一戸分の設計料である。人件費やら、事務所経費が同じようにかかっているにもかかわらず、設計者とディベロッパーの利益に10倍以上もの差があるのは正常なことなのだろうか。旧高松宮邸の隣とはいえ、あまりにも土地価格と建築費の比率が尋常ではないように思える。このような土地本位制の経済が、90年代のバブル崩壊後も連綿と続いており、いまだにそこにしか日本経済の浮揚を託せないのは、政府の政策的失敗ではなかろうか。 だが、それは長期的な問題である。緊急なのは、改正建築基準法により確認申請業務に多大な混乱が生じていることだ。そしてそれは、今後の日本経済にも暗雲をもたらそうとしている。
7・8月の住宅着工、3割減 耐震偽装で審査厳格化(asahi.com)
ましてや、先ほど述べたように、設計料は十分でないにもかかわらず、改正基準法による罰則は厳しくなり、設計者への責任は重くなるばかりである。こんな状況で、建築デザインの良し悪しなどあったものではない。さらに、今までは多少の変更は報告だけでよかったのであるが、今後は構造に少しでも関わる変更は、申請を再度出さねばならなくなった。工事途中でのクライアントの要望等での変更が困難になるため、最初から詳細に設計をしておかねばならない。ということは、今までに比べて設計期間が必要ということである。だがそのような事が、資本の論理で動くマンション・ディベロッパーなどのクライアントに通用するのか。建築設計者は非常に困難な状況に置かれてしまった。 ようやく政府も、今回の改正建築基準法が大きな問題を引き起こしていることを認めざるを得なくなったようだ。
改正建築基準法の施行に関する追加措置について(国土交通省 住宅局建築指導課)
誤解のないように言っておくが、僕はここで、設計業務の増加に伴う報酬についてとやかく言いたいわけではない。現在の法の運用では、クライアントと設計者が対話しながら建築を作ることを、著しく制限してしまうことを指摘しておきたいのである。最初からすべてを見通せる人間など存在しない。常に試行錯誤を繰り返しながら進んでゆくのが、僕達の人生なのだ。それを、最初から見通しておけと法は言う。不満があっても我慢せよとも言う。だがそんな状況では、良きデザインなど決して生まれるはずがない。建築物は建っても「建築」は創造できない。 今後日本の「建築」はどのようになるのだろう。デザインがどうの、美がどうのという前に、制度による表現の自由への介入が、一層増大してゆくに違いない。東浩紀が「環境管理型社会」と呼んだ社会の到来を、図らずも実感することになったわけだが、思想としての権力論については、また別の場で論じてみたいと思う。とにかく現在の我々の緊急課題は、制度による「建築の死」がおこらぬよう、戦略を考え実行することである。 |
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2月5日付のブログで予想したとおり、京都の高層マンションの価格が上昇している。産経新聞夕刊(8月8日)にも同様の記事が掲載されていたのだが、京都の景観には大きな問題なので全文を引用しておこう。
京都市、景観条例を逆手に のっぽマンション価格高騰(iza)
京都市で、眺望を売りにした「のっぽマンション」の価格が高騰している。建築物の高さなどを規制する新景観政策が9月にスタートするため、新たな高層物件が建てられなくなる地域が増えるからだ。現行基準で建築確認を「駆け込み取得」した新築マンションでは、上層階の価格が下層階の2倍にのぼり、「今だから提供できるプレミアム物件」を最大限にアピール。この影響で中古物件も値上がりしているという。新景観政策を逆手にとったビジネスに、市は「違反ではないが…」と困惑している。
それにしても、上層階の坪単価が下層階の2倍にもなっているとは驚きである。いくら高いところが好きなお馬鹿さんが多くとも、4〜5階程度の差では、京都の夜景に大差がないことがわからないだろうか。方角によっては、大文字の送り火が見えないことだってありえる。おそらく、カネ余りしている東京や海外の資本が、プレミアムと言う言葉に踊らされて買いあさっているのだろう。 だがこのようなことが続けば、地価の異常な高騰を招き、京都の町にも悪影響が出てくる。コミュニティーが破壊され、景観が破壊され、経済が破壊される。市は「価格設定はマーケットの問題で、市が指導できるわけではなく、コメントしようがない」などと無責任な態度のようだが、とんでもない。僕ですら、新景観条例が発表されたときに、このような事態を予想できたのであるから、もしも条例策定時に予想し、対応について考えていなかったとすれば、行政の大きな怠慢であると批判されても仕方がなかろう。京都市長の責任も重大である。 資本の論理で動いている輩に対して、文化への理解をいくら語っても仕方のないことは、バブルの時代に十分学んだはずである。資本には金で対抗するしかない。おそらく不動産の高騰に対して京都市が対抗できる唯一の政策は、固定資産税の購買価格での課税である。付加価値のインフレーションが都市景観政策のネックとなる訳であるから、土地・建物だけでなく、当然その部分にも課税すべきだ。高層住居を購入できるお金持ちには、きちんと税金を払ってもらいましょうよ、というお話である。 |
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2006年4月26日、耐震偽装問題の関係者が逮捕された。昨年11月17日に国土交通省が、首都圏での21棟にのぼる構造計算書偽造物件を発表して発覚した事件であるが、果たしてこれで一件落着に向かうのだろうか。実際逮捕容疑をみても、偽装行為に直接関係する内容ではない。このような別件逮捕から、きちんとした解決へ果たして向かうのかどうか、全くもって疑問である。
逮捕された8人(呼称略)
【建築士法違反容疑】
【建設業法違反容疑】
【電磁的公正証書原本不実記録容疑など】
まず姉歯氏の罪状だが「1級建築士」の名義貸しである。書類に記載する資格と名前だけを貸してお金をもらうということだが、仕事の流れの中でこのような状況になっている人達は結構いるのではないかとも思う。厳密には罪なのだろうけど、倒壊する建物を平気で申請する事に比べればずっと小さな罪だ。さらに木村建設は粉飾決算、イーホームズに至っては資本金の水増しという、経済問題かと思えるような理由である。 本当は木村建設が姉歯氏に圧力をかけたのか、ディベロッパーやコンサル会社が建設会社に圧力をかけたのか、我々はこのような事実が知りたいのである。イーホームズはただのぼんくらで確認申請の間違いを見落としたのか、それとも民間検査機関に確認業務をさせることに問題があったのか、こうした社会問題としての偽装事件を早急に論じて欲しいのである。しかし、被害者の気持ちを抑えるためだけのアリバイづくりのような今回の逮捕は、この偽装事件の本質を隠蔽していくような気がする。「官から民へ」の一環として確認検査機関が設立されたのであるが、日本の確認業務に時間がかかること、その煩雑さに対してアメリカが圧力をかけた結果とも言われている。ならば法律を作り施行している国の責任はどうなるのだろう。民民問題として片付けられない問題がここには大きく横たわっている。 そして本日 5月17日、マンション販売会社「ヒューザー」社長、小嶋進社長(52)が詐欺容疑で逮捕された。耐震強度が不足していることを知りながらマンション販売を行ったというのが詐欺の内容である。確かにマンションが引き渡される ことがなければ、入居者が多大な被害を受けることは防げたであろう。そのかわりヒューザーは倒産し、建設費を支払われない工事会社、その下請け会社も連鎖倒産したかもしれない。結局、誰かに負債が降りかかるのである。 この耐震偽装という問題は、姉歯氏が勝手に構造計算書を偽造した個人の犯罪なのか。もしもそうだと結論するなら、彼をそこまで追い込んでいった建築業界に踏み込まねばならない。構造事務所だけでなく、意匠、設備事務所もあまりにも安い設計料しか支払われないため、なんとか継続した仕事を受けるためにクライアント側にばかり顔を向けてしまう。こうした事情を見ずして、問題の解決は行えない。一方、ディベロッパーやコンサル会社が躯体コストを指定するような圧力をかけていたとするなら、それは明らかに耐震性を犠牲にしろと言っているに等しい。その時は、彼らこそが犯罪の主体である。建設会社も姉歯氏もそれに従っていたにすぎないからである。警察はこのあたりの事情を果たして明らかにできるだろうか。 だが犯罪の主体が明らかになったところで、被害にあったマンション購入者やホテル事業主に対して賠償金は支払われるのか。たとえ裁判が迅速に行われてその賠償責任が明らかになったとしても、名前が挙がっている当事者は、誰一人として被害者に対し賠償できる能力はないであろう。結局、被害者は国や地方公共団体からのわずかばかりのお見舞い金しか手にできず、大きな負債を背負って生きていかねばならない。しかしこの問題は、地震などの自然災害ではないのだ。人間が引き起こした犯罪であり、それらを防ぐ役目の確認検査機関が全く役立たなかったのだ。そして検査機関が国に認定されている以上、国は彼らに対し管理責任がある。「法律は確認業務は申請者の善意や能力を前提にしている」などと言っている者もいるようだが、法律に書かれていない行政指導を事細かに受けた経験のある私などは「今さら何を言うか」と怒りすら覚える。申請者の能力を信じているのなら確認など行わず検査を厳しくすればよいし、保証も含めた責任を果たすなら保険会社のような審査をして建築主や建物購入者を守るべきなのだ この耐震偽装問題の根は深い。建築設計と建築施工が明確に分かれていない日本的事情も、実は大きく関わっているとも思う。だが被害にあった人達にはそんなことは関係ない。安い物件に飛びついた購入者の自己責任だとは決して言い切れない問題が潜んでいる。犯罪がどのように立証され、賠償責任が誰に課せられるかは分からないが、確認業務という公的な機関が関わっている以上、とりあえず国が責任を認めて何%かでも被害者に対して保証するのが道理なのではないだろうか。 |
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建築完了検査後に改装されている建物はよく見かける。ただ今回の東横インはかなり悪質と言うことで摘発されたのだろう。
ビジネスホテルチェーン「東横イン」(東京都大田区)が全国の系列ホテルで、法律や市条例で義務付けられている身障者用設備や駐車場を、完了検査後に無届けで撤去する不正改造を行っていた疑いがあることが二十七日、分かった。(産経新聞) この記事にもあるように、今回は弱者に対する社会正義に反するがゆえに大きな問題になったのだろうが、本当に建築基準法違反を問題にするなら、とんでもない量の違反建築物を摘発せねばならなくなる。新聞社や放送局にしても、東京の立派な本社で偉そうにしている報道局員にはわからないだろうが、地方の社屋や営業所、販売所まで調べれば、大きな顔で東横インを責め立てられないはずだ。さらに、建築に関わる法律には消防法というものもある。こちらの方は、建設後も立ち入り検査等があり指導が行われるが、商業ビルなどでは検査後に通路に商品を並べたり避難通路をストック代わりに使ったりしていることも多い。火事になったときに被害が大きくなる原因のひとつである。 マスコミも「耐震強度偽装事件」のことで建築主の不正に目を向けているのなら、目立った事件ばかりを追うのではなく、法律自体も含めた問題提起をしてもらいたい。建築基準法は、なにか国民の安全を守っているように思われているが、実は公共の福祉のために私権を制限する法律なのである。建築主が自分の資金で自由に建てることを認めないことは、今はやりの規制緩和とは反対なのだ。だからこそ、現代の風潮から法律を平気で破る人間が出てくるわけで、そのあたりのことを評論家もきちんと見定めてコメントして欲しい。とにかく建築をめぐる報道がなされる度に、不満が募る今日この頃である。 |
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あけましておめでとうございます。 昨年末は、確認申請書偽造事件(所謂姉歯事件ですが、実際姉歯氏は大した役割は果たしていなかったのだろう)で建築業界は大荒れで幕を閉じた。今年もその問題が、政治的にも社会的にもいろいろと問題になるだろうが、やはりきちんと整理しておかなければならないだろう。今年は、そのあたりから建築界に切れ込んでいこうと思う。 |
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四国旅行紀 ー 8月3日・4日
前日の夕刻に金刀比羅宮奥社まで約一時間かけて登った。途中の御本宮までは石段で上がって行けるのだが、そこから先奥社までは山道だ。最後の最後にある心臓破りの石段を登りきると讃岐平野が眼下に広がる。奥社からさらに先は修験道の道がある。日本人の信仰が自然、それも山岳に向かうのは、山が神の降臨する巨大な依代だからだろう。そこには、我々を活性化させるエネルギーが隠されているのかも知れない。奥社からの帰りに御本宮で参拝していると巨大な土地の陥没を発見。実は、そこは緑黛殿という新参集殿で建築家の鈴木了二が設計した施設なのだが、その時は時間外で閉まっていたため工事中なのかと思ってしまった。後にその施設が「村野藤吾賞」を受賞した施設であったことを知って驚いた。金比羅プロジェクトと名付けられたこの施設を追った書籍も出ているらしいが、彼の深遠なる思想を、聖なる地に立つこの建築から感じられ無かったのは僕の修行が足りないせいか・・・?
ひとりの芸術家のためだけに建てられた美術館はやはり余裕がある。現代絵画は作品そのものが表現する意味よりも、作品がある状況そのものが意味を持つ。設計者の谷口吉生氏は、さすがに多くの美術館を建てているのでツボは外さない。一つ一つの作品に必要な空間が与えられているために作品が生きている。さらに僕が気に入ったのは、最上階のカスケードプラザと呼ばれる滝のある庭園に面したカフェである。美術館に入らなくても利用でき、静かに時間が過ごせそうだ。このような場所が近くにあれば、頻繁に通ってしまいそうである。しかしながら本当に残念なことは、ここを訪れる人が非常に少ないことだ。ゆっくりと観るには良いのかもしれないが、平日の昼間とはいえこのような入場者数では市の負担も大きいのではないだろうか?瀬戸大橋経由で関西から日帰りで訪れることも出来るのだから、JRや芸術系大学と提携してイベントを企画してはいかがなものだろう。ちなみにこの建物も村野藤吾賞を受賞している。 丸亀を後にして高松自動車道を徳島へと向かう。徳島ではたいした宿にも泊まらず、翌日淡路島へと渡る。野島断層を保存している北淡震災記念公園を訪れ、阪神・淡路大震災がいかに大きかったかを再確認した。地面が1m!もずれるなんてことが実際に起きたのだから、ビルも家も倒壊するだろう。喉元過ぎれば何とやらで、最近は京阪神でも地震への対応が軽視されているように思えるが、建築を志す者として最低限人の命を守ることは常に念頭においていなければならない。 明石海峡大橋を眺めながら一風呂浴びて、たこフェリーで明石海峡を渡る。夕食はフェリー乗り場に近いイタリアンだ。トラットリア・ピッツェリア CIRO(チーロ)という赤穂のさくら組にいた人が開いた店だ。雑誌で見て予約をしていたのでよかったが、店は満員。レモンと塩だけみたいな(決してそうではありませんが)大ざっぱな料理なのだが、新鮮な素材がとても良く生かされている。車の運転のせいでワインが飲めなかったのがとても残念だ。是非ともまた行きたい店であった。 国内とはいえ久々の旅行だったが、やはり業と言うべきか「建築」を中心に計画を立ててしまう。しかしながら、行ったことのない土地にはそこで営まれる人々の生活があり、それらが生み出すデザインがある。そして、そういった刺激を受けることこそが、我々の人生を豊かにしてくれるのだと感じた三日間であった。 |
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四国旅行紀 ー 8月2日 こんなところを曲がるの?というほどの細い路地に車を進めていくと、美術館の受付のある木造の建物が見えてきた。既に2、3台の車が駐車場に止まっている。朝早く京都を出発したのだが、山陽自動車道、瀬戸中央自動車道のパーキングエリアで、こまめに休憩しながら走っていたのと、道を間違えて遠回りをしてしまったために、予約時間の午後1時にようやく間にあった。だから、先に昼食の讃岐うどん(山田家)を食べる予定が逆になってしまった。 受付の建物に入って手続きをすませる。さすがにイサム・ノグチは国際的にも有名なだけあって、外国人の訪問者も多い。また、野外を歩き回るため、傘(日傘にもなるらしい)麦藁帽、虫除けスプレーなども用意されている。今日は快晴ゆえに、完全防備が必要だ。 まず、案内人と共に「石壁サークル」と呼ばれている作業場へと向かう。石壁を円形に積み上げた野外アトリエには、まるでストーンサークルのように、完成・未完成の作品が置かれている。展示されていると言うよりも、「あるべくしてある」という感じだ。イサムは、このように多くの石を同時に置いて製作していたそうである。また、完成品のいくつかは、隣接している農家を移築したギャラリーに展示されているが、それほど数は多くない。その上、不運なことに、現在イサム・ノグチ展が札幌、東京と行われるために、代表作の「エナジー・ヴォイド」が貸し出されていた。美術館のHPに載っている写真のように、藁入り土壁の前に置かれた作品を体験できなかったのはとても残念だ。 次に、丸亀の豪商の屋敷を移築したイサムの住居を見学する。残念ながら、この建物は県の文化財になっているらしく内部にはいることができない。窓から覗き見ると、彼が洋式の生活と日本家屋を調和させるべく、床にレベル差をつけるなど様々な改造を施していることがわかる。引き戸や格子の意匠もさりげなくデザインされている。その建物の背後には、彫刻庭園と呼ばれる築山のある庭がある。築山は豊満な乳房の形をしていて、頂上には天然石が一つ立っている。イサムが模型まで作り、さらに何度も何度も手を加えた言われるその形は、彼の私的なエロティシズムを感じさせる。頂上に立つと、左手に屋島を右手に瀬戸内海を見渡せる。彼はこの場所をこよなく愛し、この景色をいつまでも眺めていたのだという。 イサム・ノグチ庭園美術館は、確かに彼の代表作を集めて作られた美術館ではない。だが、彼が鑿をふるい、磨いた石たちがそこにあることは、牟礼町の海風・太陽といった自然が彼に与えた天啓の一端を、僕たちに垣間見させてくれるのだ。ここでは芸術作品が生まれ出でて、芸術作品と名付けられる瞬間に僕たちは立ち会うことができる。 |
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阪神大震災の記憶も薄れてきていた昨年、まさに忘れた頃に台風、新潟県中越地震と立て続けに災害が日本を襲った。被災者数は阪神大震災よりも少なかったとはいえ、生活環境が激変する苦痛を多くの人々にもたらした。 そして、年末にインド洋沿岸に大規模な津波被害を引き起こしたスマトラ島沖地震。未だに被害の全容はわからないが、既に15万人が亡くなっている。たった数時間でこれほどの人命を失うような悲劇は、我々の想像力を越えるものだとも言えよう。しかしながら、多くの日本人が楽しいはずの旅先で被災していることを思うと、地球上のどこにも確実に安全な場所はないのだということも肝に銘じる必要がある。
阪神大震災の後、僕たち被災地やその周辺地域に住む者は、その悲惨な現実の中にあって自らの生き方を考えさせられた。だが震災の年も終わろうとする頃には、首都圏に住む友人にとって、震災はドラマの過去の1シーン程度になっていた。 最後に、スマトラ島沖地震・津波で亡くなられた人々に哀悼の意を表します。そして、復興への第一歩が素早く踏み出せますよう心より願っています。 |
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六本木ヒルズ森タワーの玄関回転ドアに挟まれて、小学校へ入学目前の児童が亡くなった。私も、汐留の高層ビルの入口回転ドアが急停止した場面に遭遇したことがある。あまりに唐突に停止するので、それはそれで危険に感じたものだが、今回はセンサーが反応せず、回転速度も上げられていたと言うことである。 事実は今後明らかになるとは思うが、以前<金儲け+文化>について書いたように、所詮商売のための<文化>は底が知れている。いくら森美術館がどうのこうのといったところで、経済優先で人間を軽視する態度は隠しようがない。そんなことを感じている人は多くいるはずなのに、経済力やマスコミの力に屈して沈黙しているのなら、そちらの方がこの事故にとって根深い原因のように思える。 |
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1月10日・11日に東京へ行く機会があったので、ちょっとふらふら見物してきた感想を書いてみたい。
Stylus
表参道ブランドショップ
プラダ |
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森ビル社長が週刊誌のインタビューで話をしていたのだが、六本木ヒルズでは都市開発に際して文化的側面を重視したと言うことだ。従来から、効率重視の都市開発には疑問を持っていたそうで、今回は内外のデザイナーやアーティストによるハード部分だけでなく、美術館や映画館、さらに様々なイベントというソフト部分にも気を使っているらしい。そのおかげか、オープン以来予想を上回る人数の来訪者があり、結果的に経営的な成功を収めているわけである。 しかしながら、いくら文化を中核として考えたとしても、企業の経済活動である以上儲けが無ければ事業として成立しない。それゆえ、こうした文脈で語られる文化というのは付加価値でしかない。良く言えば、一時もてはやされた企業メセナ的な活動ではあるが、実のところ金儲けのための客寄せパンダ(パンダさんごめんなさい)である。 そもそも、文化って何だろうか?音楽(坂本龍一のランドソング)や美術(村上隆のキャラクター)とのコラボレーションが文化なのか?人々が創りあげるものが文化であることは間違いない。しかし、文化がそこにあるとは、文化と名付けられた「モノ(作品)」があることではない。人々を集めるものが文化ではなく、人々が集まってなされる何かが文化なのである。建築はそのような文化創造の触媒たる場であり、そこで生まれたモノは事後的に「美術」や「音楽」といったカテゴリーに分類されているにすぎない。
現在、我々は、情報化により時間や空間をこえてモノを等価に見るようになってしまった。そこでは、地域性や歴史性が呼び起こすモノの聖性が失われてしまう。時間により淘汰されたモノが優れたモノという従来の世界観が転倒される。その結果、人を集めてモノが売れる場を造ることが永続性につながることになる。 |
あらゆる事物の消費速度がますます早くなっている現代において、
有効な言葉を紡いでゆくことは非常に困難になっている。
言葉の根にある文化的部分が高速に変化している中で、ある価値が持続性を
持って人々に共有されることは、ほぼ不可能ということだ。
全てに対して「うつろいゆくもの」との諦観を持てば、それなりの快適な生活を
送れるのかもしれないが、価値判断をせずに生きるということが人間に可能だとは
到底思えない。人間が価値を求めて生活をしているかぎり、文化的な核は存在する。
表層批評すら困難になっているこの時代に、精神的孤高はアナクロニズムなのだろうか?
人間の相互理解可能性の神秘に驚くことこそが、我々に今必要なことなのだ。