2005年01月05日

「災」から考える


阪神大震災の記憶も薄れてきていた昨年、まさに忘れた頃に台風、新潟県中越地震と立て続けに災害が日本を襲った。被災者数は阪神大震災よりも少なかったとはいえ、生活環境が激変する苦痛を多くの人々にもたらした。
そして、年末にインド洋沿岸に大規模な津波被害を引き起こしたスマトラ島沖地震。未だに被害の全容はわからないが、既に15万人が亡くなっている。たった数時間でこれほどの人命を失うような悲劇は、我々の想像力を越えるものだとも言えよう。しかしながら、多くの日本人が楽しいはずの旅先で被災していることを思うと、地球上のどこにも確実に安全な場所はないのだということも肝に銘じる必要がある。

阪神大震災の後、僕たち被災地やその周辺地域に住む者は、その悲惨な現実の中にあって自らの生き方を考えさせられた。だが震災の年も終わろうとする頃には、首都圏に住む友人にとって、震災はドラマの過去の1シーン程度になっていた。
建築の仕事はイマジネーション豊かな感性で支えられていると思われているが、自分の経験以上の想像力を持つことは非常に難しい。僕たちは、謙虚に自らの感受性を広げる努力をせねばならない。感動は驚きと共にあるかもしれないが、驚きは常に感動をもたらしはしない。驚きばかりを追求する建築は、津波の中に簡単に飲まれてしまうであろう。人の命を守り、生活に彩りを与え、健康な心身を保てることは芸術の条件ではない。それは、人間の最低限約束されている権利だ。その最低条件を満たした上で、人々に何か希望を与えられれば、人の心に残る時流に流されない建築となるように思うのである。

最後に、スマトラ島沖地震・津波で亡くなられた人々に哀悼の意を表します。そして、復興への第一歩が素早く踏み出せますよう心より願っています。


投稿者 kitazawa : 2005年01月05日 23:51 | トラックバック
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