2004年02月01日

ヒロシマ


本来、聖なる場所-Sanctuary- とは、人間の精神が人間を<超越したもの>に触れる事が出来る場所である。そのような超越の感情を組織化するのが宗教であり、一般の人々にもに自己の奥にすばらしいものが眠っていることを気付かせてくれる。その意味で、世界中の多くの聖域は人間性の肯定(正)の場であるとも言える。

一方、人間の歴史は闘いという、人間の持つ心の闇の歴史といっても良いだろう。そして、そうした負の聖域と言える場所はアウシュビッツやヒロシマだろう。今回始めて広島平和公園を歩いてみて、土地に刻み込まれた深い闇は、全人類の未来への灯ではないかと感じた。それはなぜか?

一般的にこうした悲劇は特異なものと思われている。しかし、我々の世界は、常に愚かしい人間の闇に支配されており、悲劇こそが常態なのかもしれない。そして、我々が為した過ちへの深い悔恨こそが、未来への導きなのだ。そこには勝者はいないし、被害者・加害者の区別もない。ヒロシマはそんな事実に我々を目覚めさせてくれる聖域なのである。


投稿者 kitazawa : 02:53 | コメント (0)