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森ビル社長が週刊誌のインタビューで話をしていたのだが、六本木ヒルズでは都市開発に際して文化的側面を重視したと言うことだ。従来から、効率重視の都市開発には疑問を持っていたそうで、今回は内外のデザイナーやアーティストによるハード部分だけでなく、美術館や映画館、さらに様々なイベントというソフト部分にも気を使っているらしい。そのおかげか、オープン以来予想を上回る人数の来訪者があり、結果的に経営的な成功を収めているわけである。 しかしながら、いくら文化を中核として考えたとしても、企業の経済活動である以上儲けが無ければ事業として成立しない。それゆえ、こうした文脈で語られる文化というのは付加価値でしかない。良く言えば、一時もてはやされた企業メセナ的な活動ではあるが、実のところ金儲けのための客寄せパンダ(パンダさんごめんなさい)である。 そもそも、文化って何だろうか?音楽(坂本龍一のランドソング)や美術(村上隆のキャラクター)とのコラボレーションが文化なのか?人々が創りあげるものが文化であることは間違いない。しかし、文化がそこにあるとは、文化と名付けられた「モノ(作品)」があることではない。人々を集めるものが文化ではなく、人々が集まってなされる何かが文化なのである。建築はそのような文化創造の触媒たる場であり、そこで生まれたモノは事後的に「美術」や「音楽」といったカテゴリーに分類されているにすぎない。
現在、我々は、情報化により時間や空間をこえてモノを等価に見るようになってしまった。そこでは、地域性や歴史性が呼び起こすモノの聖性が失われてしまう。時間により淘汰されたモノが優れたモノという従来の世界観が転倒される。その結果、人を集めてモノが売れる場を造ることが永続性につながることになる。 |
| この日本において 二十一世紀初頭は地震の本格的活動期を迎えるであろう と予想されている 特に関東地方は 過去の記録(-1633年 1703年 1707年宝永 1782年 1854年安政 1923年-)から周期性の高さが指摘されている 最短で70.50年 最長で78.67年 マグニチュード 6.7〜8.2 の強い地震であったという 記録にあるところでは 1923年 関東大震災 - 7.9/ 142807名 - 1925年 北但馬地震 - 6.8/ 428名 - 1927年 北丹後地震 - 7.3/ 2925名 - 1933年 三陸沖地震 - 8.1/ 3064名 - 1943年 鳥取地震 - 7.2/ 1083名 - 1944年 東南海地震 - 7.9/ 1251名 - 1945年 三河地震 - 6.8/ 1961名 - 1946年 南海地震 - 8.0/ 1443名 - 1948年 福井地震- 7.1/ 3769名 - 1995年 阪神大震災 - 7.2/ 6435名等本州中部以西の各地に大きな被害を及ぼしている そしてその多くは 発生した時期から55〜60年を迎える これら以降にも新潟地震 十勝沖地震 松本群発地震 鳥取県西部大地震 伊豆諸島群発地震 等 により大きな被害を被っている にもかかわらず この国の偽政者と官僚は 脆弱な都市構造に対して なにひとつとして学びとろうとはせず ただひたすらに自己の責任回避策を目論んでいるだけである 反論はあるだろう 阪神大震災以降 地震予知に関して 2000 億円が費やされたと・・・ しかし 予知は実用化されぬまま メカニズムの解明という基礎研究へとシフトされている事実は知らされていない 現時点で 時期 場所 規模の三要素を早期に知る手立ては 確実なものは「ない」といえるけれど その周期性については 誰もが認めるところである だとすれば その「警報」を出し 注意をもっと喚起することはできる筈である そして都市基盤の整備と同時に 補強策も講じるべきである 官僚は国家百年の大計を前提 に施策をなすべきであり 自己の票田や利得のために動く政治屋や自己責任も全うせぬ「金融機関・特定企業」のために動くべきではない 公的資金という名の税金投入策を講じる前になすべきことがあるのではないのだろうか と想う次第 |
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いまどきの住宅について 12-7.7 |
ぶぶ(白湯)漬け と 茶漬け 12-8.15
嘗て 織田信長は合戦に出陣するにあたり かならず「ぶぶ漬け」を食したというが 「京のぶぶ漬け」といわれる事象はどこからきたものなのだろうか ただ・・単純に?? という具合に想ったのだが「ぶぶ」と「茶」について すこしだけ考えようという気になった そこでつらつらとおもん観るに 茶には「点てる茶」と「飲む茶」そして「食べる茶」があるが ここではたべる茶 すなわち「茶漬け」を考えることにする
ぶぶ漬け 茶漬けと似たものに茶粥があるが なにが同じで なにが違うのか 栄養学や社会学ではなく食味道楽的に茶の間で考えようというのである それでは始めてみようか ぶぶ漬けに用いる飯は お櫃で冷めた少し固めの白米がいちばんである これにすこし熱めの白湯を注ぎ 一気に食す!(因に香の物は大根が合う) さすればこのぶぶ漬け「気」をこの身に漲らせてくれる だからこそ信長が好み いまに伝えられるのだろう そして反意として「これ以上の気を張らせないで」「はやく楽にして」という意味で別れ際に「まぁ・・ぶぶ漬けでも・・」という京のぶぶ漬け文化に転化し 「やんわり」とした生湯葉のような味わいをもって残ったものなのだろう 茶漬けは まだ温もりが残る白米に 濃いめの熱湯玉露をなみなみと注ぎ ふっくらとした紀州梅干しを乗せて ふぅ〜ふぅ〜と冷ましながら はふッ はふ と食するのがいちばんおいしい 梅干しの代わりに塩気の効いた鮭の切り身 若しくは棒タラでもよい この茶漬けは 食べた者になぜか「安堵と安らぎ」をもたらしてくれるから不思議である それゆえに 疲れたとき我が家で茶漬けがたべたくなるのだろう あるいはまだ柔らかみのある冷や飯に番茶を注ぎ 酒の香り漂う奈良漬けを友として食するも一考に値す ところが 茶粥は冷めた七分突き玄米を塊り茶といっしょに軽くひと煮立ちさせたものを塩昆布で食する 香の物や塩鮭の塩気とはちがった昆布の塩気が粥に風味を与える 因に 昆布は「こぶ」と云うが正しい
近ごろ 味付け澄まし汁を茶の代わりに使い「茶漬け」と称するが これは「ネコマンマ」にすぎない 巷間いうところ ただの「ぶっかけ飯」(土木界での正統ぶっかけ飯は 汁にめしを入れるもの)である このぶっかけ飯 胃の腑をただ満たすだけの言わば「餌」であり そこに真の「食のたのしみ」はない これらの違いはどこにあるのだろうか つらつら想んみるに「ぶぶづけ」には大地の気が凝縮されており「茶漬け」には太陽の気が凝縮されている そして「茶粥」には汐の香りが融けているように感じられる
-鬼門- 12-8.30
古代中国の地理書「山海経」に 中国東方数万里の海中にある度朔山に桃の木があるという その東北に伸びた枝の下に(その長さ三千里という なんという壮大さか!)「死者の霊魂が出入りする門」があり「鬼門」と称すとある そこに門番がおり 出入りする死者の霊魂を検問していた そして生前の行い善からぬものを虎の餌食とした というのであるが これがいつのまにか日本では「丑虎の方位」からか牛の角を持ち 憤怒の形相凄まじく虎皮の褌を締め 鉄棒を携えた「赤鬼・青鬼」に生まれ変わっている そもそも日本の文献で「鬼」の字の登用のされはじめは「出雲国風土記」であるという 以降「日本書紀」「和名類聚鈔」「箋註和名類聚鈔」「万葉集」等に散見されるが 分類すると神道系 修験道系 佛教系人鬼系 に大別できる(鬼の研究 - 馬場あきこ 著)また解字学的に「鬼」字を解明していけば 招魂によって帰ってくる死者の魂であり そしてその「音」は「シ」であるという 「シ = 死」であるため忌み嫌うならば 神棚 仏壇も忌み嫌われ 放逐されてしかるべきである でなければ「ジコチュウ」である 因に 徳川家康も明治天皇も そして江戸の庶民たちも「鬼門」の忌み性を信じず笑い飛ばしたという にもかかわらず 此の国では根拠もなく いまだに住まいにおいて「家相」だ「風水」だと騒いでいる! 笑止千万!と「笑い飛ばしたい」けれども 昭和五年 東京市参事会は市長執務室が鬼門に当たるとして移転を決議しているのである そのことを問題にすることなく素通りさせてしまう「体質」が案じられる 日本は「神の国」だと宣い 皇国臣民を教育するのもいいけれど その前に自身を教育すべきだと信じる なにも皇国史観に染まっている訳ではないけれども「壱、汝 至誠に悖りしことなかりしか ・ 貳、汝 人道に悖りしことなかりしか ・ 参、汝 信義を忘るることなかりしか」という日清 日露の頃の日本海軍訓の一節が想い起される 「うまいもんは うまい!」というC Mのように「良いものは良い 悪いものは悪い」と はっきりさせなければいけない 正直者が報われる世の中でなければとしみじみ想う訳
屋根の不思議 12-6.18
此処に仏の住む国あり と覚えた仏教伝来(552年)の頃 隣国の百済 高麗よりもたらされた唐瓦葺 この男瓦(平瓦)女瓦(丸瓦)を組み合わせ用いる技法を本瓦葺きという 天平の昔から江戸寛永の末まで 堂々としたその重厚さは伽藍 城郭建築に用いられ いまに残る 難点はその重量と工費である 一六七四年 三井寺瓦師 西村半兵衛発案の桟瓦がその難点を乗り越える 耐久 品質 施工 工費等の総合力で 屋根に爽やかな軽やかさを与えてくれたその連なりの美しさは さざ波のような連続した統一感を生み出している このように屋根は葺く材料によってその印象がずいぶんと違ってくるものである 樹齢六百余年とされる室生寺の檜材は 年輪年代法により伐り出し年が七百九十四年と判定され 創建が八百年頃と想定される 江戸初期の補修工事において挽き割り板葺き屋根から優美な檜皮葺きの屋根に変身したのである 以後この優美さ故か 女人高野として篤い信仰を受けている 日本を代表する屋根といえる檜皮(ヒワダ)葺きは 檜の樹皮の中間層(真皮)を重ね合わせて葺いたものであるが その材寸法は 平板で厚さ五〜六厘 幅五寸 長さ弐尺五寸 これを参分毎ずらしながら下から上へ葺く 葺き師は このか弱い材を緻密な手わざと行程でもって洗練された優美さへと変えていく 似たものに柿(コケラ)葺きがある こちらは材を年輪に沿って曵き割った薄板をさらに薄く削ぎ 檜皮 同様に葺いていくのだが 厚さ一分 幅四寸 長さ壱尺の材を長板葺きに重ね 竹釘で止めている 素人目には檜皮葺きと区別はつかないけれど 葺いた屋根の表情が「おとなしい」檜皮にくらべ どこかしら「やんちゃ」な感じがするのがおもしろい 因に 檜の表面層は鬼皮という これは栗とおなじであるが 栗の中間層は渋皮という いとおかしけるかな
また違った趣と印象を与える屋根に 原風景として蘇るわらぶき屋根がある 正確には茅葺き屋根という チガヤ ススキ ヨシの茎を束ね 積み重ね葺いたものであるが 葺き厚さが弐尺以上もあり 大らかな起り(ムクリ)をもっている そのため見るものに常ならざる量感をもって迫ってくる これは共同体としての村社会のもつ逞しさによるものなのかもしれないけれど 求心的な凝縮世界の魅力がそこにはある いずれにしても屋根とその葺き材は 風土と社会と技術が時のながれの中で せめぎあいながら結実した意識の証なのかもしれない そして太く硬い樹木の皮が やわらかな優美さを醸し出す一方で 細くかよわい草木の茎が 骨太な底力をもたらす不思議を感じる 屋根は ひとびとが暮らしの中で育み 守り続けてきた精神のヒエラルキーそのものだと想うのは 自分ひとりだけであろうか
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来年のことを言えば、鬼が笑う?
今年東京でやっていたジャンヌーベル展が天保山のサントリーミュージアムに来年来る。 12月9日には京都で川崎和男の講演会がある。11月29日の内橋克人とのフォーラムには行ったが、やっぱりデザインについての話を聞きたいなあ! |