2010年07月19日
2010年参議院選挙
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2010年参議院選挙の結果は民主党惨敗であった。そりゃそうだろう。選挙前に消費税値上げを考えてますよなんて、自爆もいいところである。ワールドカップで言えば、オウンゴールといったところか・・・
管総理ももう少し頭のいい人かと思っていたが、小沢一郎を排除して気分がハイになったのか、それとも財務省の官僚のささやき戦術の術中にはまったのか、大衆の気分次第の行動を読めなかったのだろうか? 2010年度末に国の借金が1000兆円弱に達すると言われている財政は大きな政治問題であるのは間違いない。しかし、消費税アップを言う前に国会議員の定数を減らすとか、不要な公益法人をつぶすとか、痛みが目に見える改革を為政者側がしなければ国民は納得しない。そういう戦略的な頭脳が今回の民主党トップには大いにかけていた。 菅直人、鳩山由紀夫、小沢一郎・・・もう、そんな時代ではないだろう。自民党にしたって同じだ。そろそろ若手にバトンタッチを考えるか、政界再編を推し進めるべきだ。その意味では、今回の選挙で小沢氏の打ち出した二人区戦略やタレント議員の擁立の失敗は、大きな変革の呼び水になるかもしれない。 だが、業界団体や労働組合といったものに政党が寄りかかっている限り、選挙のための政治が続くだけである。今必要なのは、政治家個人が独立した意志を持ち、それを国民一人ひとりに伝える努力だ。ひとつひとつの政治課題に是々非々で結論を出したっていいのじゃないか。党派という徒党を組むよりはすっとましかもしれない。 |
2008年03月14日
深読みしすぎですか?
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現在、日本にとって一番重要な案件とはなんだろう。ガソリンの暫定税率の廃止か、はたまた日銀総裁人事か。派閥の都合で首相になったくせにメディアに対しては喧嘩口調、実質的には何のリーダーシップも発揮できない福田康夫がぼんやりしている内に、世界情勢は日本にとってとても厳しいところに来ている。
メタミドホスなる毒物が混入していた中国からの冷凍餃子に対して、日本の捜査当局は中国での混入の疑いを発表したのにもかかわらず、日本の首相は日本人の健康のことなど二の次のようである。
ギョーザ中毒事件 中国公安当局 中国での混入否定「可能性極めて小さい」(MSN産経)
「中国内で混入ない」河北省幹部が断言 ギョーザ事件(asahi.com)
中国側の批判、警察庁長官が強い不快感 ギョーザ事件(asahi.com)
調査捕鯨船に妨害活動 シー・シェパード(iza)
そんな団体がなぜオーストラリアで活動できるのか。それはひとえに、オーストラリア首相のラッド氏のせいである。
日本の「調査捕鯨」は認めない 豪首相(iza)
胡錦濤氏も驚く中国語 ケビン・ラッド党首(50)(iza)
反捕鯨が中国絡みなのは、ラッド首相の中国シンパぶりを見れば十分だろう。11年ぶりに労働党政権ができたのも中国の工作ゆえかもしれない。さらに、ポール・ワトソンはカナダ人である。カナダは太平洋を挟んだ日本の隣国と言える。 アメリカではさまざまな反日運動が中国のロビー活動でおこなわれているが、カリフォルニア州でマイク・ホンダ下院議員が従軍慰安婦問題を持ち出して非難決議を推進してきたことはよく知られている。が、なぜニューヨークでなくカリフォルニアなのか。それは、カリフォルニアが太平洋側だから。 韓国に関しては親日の人を探す方が難しい。なんと言っても、戦前に日本人と仲良くしていただけで罪になってしまう国なのだ。 最後はロシア。これで包囲網は完成だ。中ロの間にも国境紛争はあった。ところが、中国は南下政策を進めるために北方での紛争解決を優先した。2004年に中ロ国境協定が結ばれ、2005年には両国で批准。こうして国境問題はひとまず解決した。とは言っても、ロシアは大国だから中国の思い通りに動くわけではない。しかし、日ロには北方領土という、容易に解決できない問題が横たわっている。国境さえ確定してしまえば、ロシアが日本と組んで中国を脅かすことはないという読みがあるのだ。 さらに思いを巡らせれば、2002年の鈴木宗男事件である。彼が本当に悪事を働いたかどうかはここでは問わない。ただ、彼はロシアの中枢にかなりの人脈があり、北方領土の解決にも並々ならぬ意欲を持っていたことは事実である。その鈴木宗男を失脚させることが、2004年の中ロ国境協定に関係しているのではないか。そういえば、証人喚問時に彼を追求したのは社民党の辻元清美だった。社民党といえば中国の手先機関だった社会党左派の集まりだから、さもありなん。おそらく中国から情報がリークされていたのではないだろうか。 こうして、カナダ、アメリカ、オーストラリア、韓国、ロシア、そして中国による日本への包囲網は完成した。常に日本にプレッシャーをかけられる手札を用意して、中国は何をしようとしているのか。日本の政治家も官僚も、国益というものが経済だけではないと自覚しなければ大変な事態が起こるのではないだろうか。資源も食料も輸入に頼って惰眠をむさぼる我が国民よ。毒入り餃子事件は、単なる衛生問題ではないのだ。 ・・・深読みしすぎだと思いますか? |
2007年07月31日
2007年参議院選挙
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またしても国政選挙(参議院選挙)で友人が涙を呑んだ。自民党への逆風が吹き荒れる中、比例代表区での獲得議席数が伸びず、次次点に終わった。
選挙の際にいつも感じるのだが、まず重要なのが当選者数であるというのはどういうことだろう。確かに、政党政治においては、過半数議席を獲得したものが勝ちであり、政治的優位に立つことができる。しかし数のことばかりを考えていると、手段と目的の転倒をもたらす。すぐれた政策を推し進めたいが故に、当選議員を増やそうとすることが、タレントなど有名人の知名度に頼ってしまい、結局、人気取りに終始してしまう。こうした民主主義が衆愚政治に堕する危険性については、プラトンが指摘しているとおりである。 国会が立法機関として力を発揮するためには、議員にそれだけの能力がなければならないはずだ。しかし一方で、数合わせのためだけの議員も多い。これが日本の政治風土だと言ってしまえばそれまでだが、衆参で与野党が逆転している不安定な政治状況で、年金問題やら北朝鮮問題などの主要課題が解決できるのだろうか。 これだけ負けても、安倍首相はお辞めにならないらしい。今後の茨の道を考えれば、その根性は認めてあげたいが、実のところ国民は、今の安倍さんをもう見限ってしまった。閣僚に対して指導力もなく、アメリカには言われるままの姿を見て、こんな人に日本を任せられないと審判を下したのである。 29ある一人区では6勝23敗と大敗し、東京では、前回大勝した保坂三蔵が、アナウンス効果で同情票の集まった丸川珠代に喰われてしまった。この3年間投票にも行かなかった丸川に、政治を期待する有権者もどうかと思うが、イケズで組織票を回してやらなかった保坂に、政治家のいやらしさを感じたのは僕だけではなかったようである。ともかく、首都決戦でも敗れ去った以上、自民党は奢ることなく国民に頭を垂れるべきである。 一方、民主党は大躍進だったが、政権を担当できる人材が果たしているのかという不安もある。だが、時流は二大政党へと向かっている。福祉重視だが税負担は大きい社会民主的政策か、経済拡大の反面格差が大きくなる自由主義的政策かを、国民自ら考え、選択できる政治状況を作ることが最重要課題だろう。そのためにも、政界再編も含めた、未来のヴィジョンを持っている政治家が多数出てきて欲しい。 あだち雅志君には、そういう政治家になってくれることを、こころから期待している。 |
2007年04月16日
日米同盟
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日本テレビに「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。」という番組がある。バラエティー番組だから、マジに突っ込む必要も無いのかも知れないが、4月13日放送の提案『アメリカとの同盟関係を一旦白紙にします』の中では、元防衛庁長官の石破茂ら与野党の議員が出演し、侃々諤々の議論になって結構面白かった。
現在、日米同盟見直しを求める意見は、保守・革新両派にある。右派(保守)は、日本が北朝鮮などから攻撃されてもアメリカは助けてくれないんだから(日米安保では日本を助けてくれるはずじゃなかったのか)、日本の核武装も視野に入れて同盟関係を再考しろと言い、左派(革新)は、覇権国家のアメリカとの同盟は、彼らの戦争のとばっちりを日本が受けることになるから、即刻アメリカとの縁を切れと言う。目標が180度違うのに、主張が一致するのも奇妙なものなのだ。 その一方で、アメリカとの同盟こそが日本の正しい道であるという親米勢力も存在する。彼らは、アメリカのやり方がすべて正しいわけではないが、現在の世界情勢を見渡せば、日本が生きる道はアメリカとの連帯以外にはありえないと考えている。実際、憲法九条の縛りを受ける自衛隊が、たとえ北朝鮮が先制攻撃絵御かけてきたとしても、即時対応して北朝鮮の基地を攻撃することなど現状ではできない。アメリカ軍の力をお借りして、反撃してもらうしか仕方がない。だから、アメリカの機嫌を損ねるようなことを言っちゃ駄目、というのが親米勢力の本音でもある。 そういう知識人を、小林よしのりなどは「親米ポチ」と断罪する。確かに、アメリカのイラク戦争のやり方などを見ていると、「自国中心主義」が鼻につく。同盟関係と言ったって、日本を守るために、アメリカ人は命を投げ出してくれるのか。仮にそうだとして、今度は日本人の命も、その見返りとしてアメリカのために差し出さなくてはなるまい。その時に、はたして日本国民のコンセンサスは得られるだろうか。 専守防衛しか行わないと明言している日本に対して、アメリカは、国際秩序の維持やテロ撲滅を錦の御旗にして、平気で他国へ攻撃をかける。日本国民の大部分がアメリカの軍事行動に反対しても、同盟関係が法的拘束力を持てば、自動的に日本がアメリカの戦争に加担しなくてはいけないことになるのではないか。一体、主権国家としての日本はどこにある。 日米同盟についてはSAPIOの4月25日号で、その小林よしのりがこのように書いている。(原作はマンガだから絵入りの方がよいのだが)
「日米安保」はあくまでも「国連憲章」に基づき、武力行使を慎むものであり、「国連中心主義」の安全保障条約なのである。(略)つまり冷戦時代には「安保体制」=「日米同盟」だったが、以降は食い違いが生じ始めたのだ。(略)こうして2005年、「2+2」により、「日米同盟・未来のための変革と再編」という文書が作成されたが、その書き出しにこうある。 007ではないが、外交とは国家間の闘いである。ナイーブな日本など、簡単に手玉に取られる。外交官だった佐藤優の本などを読めば、小林の意見も杞憂だと言い切れない。自国を自国民が守るという意味を、日米安保も含め、もっと真剣に考えなばなるまい。
ところで、先のバラエティー番組である。 だがこういう感情論は、革新勢力がいまだに唱え続ける非武装論の当然の帰結である。それがテレビでさらけ出されたのは、むしろ良かった。 他国の侵略に対して非武装で死ぬことは、天皇万歳と言って玉砕することとどう違うのか? 一つの理念を信奉して、国民に命を差し出させるという過ちを、かつての日本が犯したと反省するのであれば、他国からの侵略など無いという信念を日本国民に強制することが、再び大きな過ちを犯す原因になることに、太田を始めとした平和教信奉者には早く気づいてもらいたい。 そのための多少のやらせなら、バラエティー番組なんだから許してあげるよ。 |
2007年02月24日
国民投票法案へのリアクション
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いよいよ憲法改正に向けての動きが始まった。今や人気急下降の安部総理が、参議院選に向けてのパーフォーマンスとするのか、それとも日本の未来を本気に考えてのことなのか、それは今後の政局を見守るしかない。
国民投票法案 与党が5月3日までの成立確認 民主は反発(iza) だが憲法改正というと、『何がなんでも反対』の人達が騒ぎ出す。平和憲法を守れ! 戦争で国民を危険にさらすのか! 軍隊はいらない! たしかに平和は尊く、僕たちはそれを守っていかねばならない。しかし、理念と現実とは常に一致するわけではない。にもかかわらず、武力を持てばすぐにでも我々が滅亡への道を歩むと考える人達は、日本を取り巻く危機的な状況をどの様に思っているのだろうか。六カ国協議で拉致事件の解決より核放棄と援助の取引を優先したことで、北朝鮮が約束を守るだろうと楽観視する向きもあるが、政治は常に最悪の事態を想定しないといけない。個人の心情と政策の選択はきちんと区別されるべきなのである。 しかし、メディアではいまだにピンぼけなことを言う人達が幅をきかしている。 ひとつの始まり「憲法の議論はきちんと始めないと大変な事になる」(多事争論 2/21)
・・・
勝手な解釈や政治の世論操作によってなし崩し的に戦争に突入しないためにも、僕たち日本国民に主導権がなければならない。そういう重要な問題が、この国民投票法案なのではないのか。他国に対して疑心暗鬼になる必要はない。しかし、常にあらゆる事態を想定し、あらゆる選択肢を取ることができるようにしておかなければ、それこそ破滅への道である。 平和は、称名して実現できるものでは決してない。国民に対し自ら考えるための材料を提供することが、メディアの役割であり、一つの道ばかりを押し売りすることは、批評としてのメディアの死なのではないだろうか。 |
2007年02月07日
少子化と健全の関係
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柳沢伯夫厚生労働相の発言が、またまた問題になっている。
「若い人たちは結婚したい、子どもを二人以上持ちたいという(希望を持つ)極めて健全な状況にいる。若者の健全な希望にフィットした政策を出していくことが非常に大事だ」(2/6) 野党やメディアは、子供が2人以上いない人達は不健全なのかと反発しているのだが、今回の発言はそれほど槍玉に挙げられるべきなのかは疑問に思う。 以前僕は、柳沢氏を男尊女卑思想の持ち主ではないかと推察したが、その後の「前回の発言で妻に怒られた。」という話などから思うに、ただ語彙が貧しいだけの人なのかも知れない。一つ一つの言葉がどれくらいの重みを持っているのかがわからないのでは、政治家としての資質を疑わざるを得ないが、言いたいことへの表現力がない点では、野党やマスコミの中にもそう言う例は山ほどある。実際、今回の「健全」発言は、政府の少子化対策を推進する重要なものであったはずだ。それをきちんと取り上げることなく、言葉狩りをして人気とりをする野党やメディアには、国民として非常に幻滅する。 では、なぜこんな風に揚げ足を取られたのかというと、政府側(柳澤氏)が「少子化がなぜ重要な問題なのか」という理由を、きちんと国民に説明していないからである。だから国民は、年金がどうの、保険がどうの、国力がどうのといった、個別の問題についてしか目が届かないのである。しかし、少子化というのはもっと深刻な、国家存亡に関わる問題であり、国民に未来の日本がどうあるべきかという国の哲学を問う事件なのである。それ故、政治家にはこれくらいのことを毅然と言って欲しいのだ。 今後子供が減ってゆくと、日本の生命線である輸出品の生産性が低くなり、今日のような繁栄を持続することができなくなるかもしれない。その時に、とりあえず食べられたらよいと、自給自足の農業国家に変わっていくのか?(現在の農業事情ではそれも無理だが)はたまた、移民を受け入れざるを得なくなり、国家の内部に様々な人種問題を抱え込むかも知れない。日本人同士分かり合えるじゃないか、なんて事が通用しなくなる。そのような社会が来ないように、政府は少子化対策に力を入れたい。国立社会保障・人口問題研究所の調査では、未婚者の90%が結婚を望み、ほしい子供の数は約2・1人であった。だから政府が考えている日本の「健全」な状況を、多くの若い人達もまた望んでいる事は喜ばしいことであり、彼らのためにも子供が産みやすい、育てやすい政策を一層考えてゆきたい。 おそらく、柳澤氏も心の中ではこういうことを考えていたのではないかと推測するのだが、「子供を二人以上持ちたい」=「健全な状況」という論理がいかに正しいのかを、きちんと(頭の悪い)野党やメディアに説明する事を怠った。(説明する能力が無かったのかもしれないが・・・)それゆえ、またまた叩かれたのだ。
だが、こんな事で政治が停滞していて良いのだろうか? |
2007年01月31日
政治家の仕事って何ですか?
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国会というのは立法機関だと、学校では習いますよね。 ふっー、脱力。 (´〜`) さすが昭和10年生まれの軍国少年。東大法学部に行っても、大蔵省のエリート生活をしても、三つ子の魂百までも。大臣になった嬉しさからか、つい本音が出たのだろう。しかし、なんと言葉が貧弱な人なのか。どんなお勉強をしてきたのかは知らないが、おそらく文化的なことは、一切理解できない人なんだろうなと思ってしまう。多分この方には、日本をリードしてゆく資質は、無い。 だが、この時とばかり騒ぎ立てる野党の面々も、負け犬の遠吠えにしか聞こえないのはどうしてだろう。 憤る女性議員、柳沢厚労相へ包囲網 身内からも批判(asahi.com) 総理の任命責任やら、審議拒否やら、辻元清美や福島瑞穂に言いたい放題されて、安倍内閣も情けない。しかし社民党だって、安部知子は自分のHPでの発言に対して、大して謝罪などせず、言葉足らずだったで済まそうとしてるではないか!社民党代議士、『阿部知子』氏のHPより。(「おたくのたわごと」ブログより) 1月17日にも書いたが、阪神大震災は本当に大きな悲劇だったのだ。にもかかわらず、東京中心の政治システムは、被災者に迅速かつ十分な対応をしなかった。兵庫県知事ですら危機意識が希薄だった中で、自衛隊は本当に良くやってくれたのだ。おそらく被災者の多くは、自衛隊存在の是非を超えて、いまでも彼らに感謝をしていると思う。それを、こちらの安部さんは、消防だけが人を助けてくれるんだとおっしゃる。軍隊(社民党用語で「自衛隊」のこと。)や警察などは治安維持を優先して人命を軽視していると批判する。しかし、よく考えてみよう。武器を持たない消防隊員が北朝鮮のミサイルにどう対処するのか?国内でのテロに対して、治安維持無くして、どの様な救援が現場で可能なのか? 柳澤伯夫も、右向きに固定されている酷い思考回路の持ち主であるが、社民党の面々も平和という言霊思想に凝り固まっている。自分たちが「平和」を唱えたら、誰も日本人に敵意をもたないと本気で考えている。だが政治家が、そんな柔軟性のない思想しか持てないようではダメだ。たとえ、他人の誠意を100%信じていたとしても、裏切られることへの対処を常に考えておくのが、政治家の危機意識である。それでこそ、国民を守ることが出来るのではないか。 結局この騒動でわかったことは、まともな政治家があまりに少ないということだ。こんな時こそ、肝心の野党第一党「小沢民主党」は、・・・嵐の中で沈没しちゃったのだ(CMへ)。 |
2006年11月28日
議員の品格
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横審の内舘牧子が朝青龍のけたぐりについて注文をつけたらしい。横綱がけたぐりをしちゃいかんやろ、って日本人なら思うだろうが、そういう美学を共有していない人にとっては、相撲も勝ってなんぼの世界にすぎないのだろう。だが、「強さ」というのは「勝利」するだけではなく「勝利する姿」に宿るものである。そして僕たちが「品位・品格」を感じるのも、一本筋の通った姿に対してである。
さて、こういう議員さんの行動に理があるのか考えてみよう。 今回復党願いを出したのは、郵政民営化に反対して自民党を離党した議員達だが、選挙結果が郵政民営化賛成だったため自分の考えを変えたのである。しかし、民営化が成功だったか失敗だったかという結論は、今のところはっきり出ているわけではない。ならば、なぜ簡単に信念を曲げてまで復党したかったのか。 やはり総理が代わった今のタイミングで復党しておかないと、次の選挙での資金が苦しいのだろう。自らの信念を簡単に放棄し、自分に投票してくれた有権者を裏切ってまでも議員にしがみつく態度に拍手するほど有権者はお調子者じゃない。自民党もよく考えて復党を認めないと、痛いしっぺ返しを受けることになるだろう。 だが最も悲しむべきは、こんな信念を持たない議員に日本の未来を託さざるを得ないことである。考え方の違い以前に、こういう「品位・品格」のない議員には退場してもらうよう、僕たちは選挙権を有効に使うことを忘れないでおこう。 |
2006年11月03日
「核反対」と「核議論反対」は違うでしょう
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自民党の中川昭一政調会長が日本の核保有に対する議論を提唱していることで、自民党内からも批判が続出している。もちろん、北朝鮮の核実験が引き金になっているのだが、自国を護るにしても「核」だけは思考範囲外にしようとするメディア報道も多い。だが、核兵器を持ちたくないという気持ちと、核を保有すべきかを議論することはまったく次元の違う話なのでは無かろうか。
最初に言っておくが、僕は日本が核兵器を持つことには反対である。日本人はすべて、広島の平和記念公園や資料館、原爆ドームを必ず見るようにすべきだとも思っている。だからといって、「他国からの攻撃に無防備でいよう」などと言う馬鹿げた思想はこれっぽちも持っていない。非戦闘員である人々をあれほどまで残虐に殺すような兵器を持つより、それらを無力化する防衛兵器を開発することにお金を使った方がはるかに良いと思っているだけだ。
それでも僕は、「核兵器保有の是非の議論」は封殺すべきでないと考える。 今ひとつの理由は、こと防衛問題は国際問題であり、議論自体が抑止力になるということである。日本人の「核兵器」に対する嫌悪感は、世界唯一の被爆国ゆえのことであり、核兵器廃絶に向けて日本がリーダーシップをとることは意義のあることであると思う。しかしながら現在の極東の状況では、日本が核攻撃を受けないという保証はどこにもない。国家が国民の生命と安全を守るのが義務である限り、政治家はプラグマティックに判断せねばならない。一つの理念を貫いて国が滅びるということがあってはならないのである。 テレビ朝日の記者が中川政調会長へ「核議論が必要だと今もお考えですか?」などと質問を飛ばしていたが、こういう者には「核を持たないと断言して、北朝鮮が核攻撃してきたときに、あなたは真っ先に犠牲になってくれるんですか」と聞いて欲しい。まあ、それくらいの覚悟を持っているのは、決して日本は侵略されないと断言している社民党の福島瑞穂くらいだろうけどね。 |
2006年08月17日
8.15-小泉首相靖国参拝
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パーフォーマンス好きの小泉首相が、任期の終了間近に8.15靖国参拝を行った。公約と言うなら、なぜ堂々と終戦記念日の靖国参拝を続けなかったのだろうか?結局、反日勢力による政治問題化を恐れてできなかっただけなのに、「適切に判断する」と逃げ続けた。この程度の政治家のパフォーマンスを、テレビメディアが大騒ぎして朝から取り上げるのもどうかと思うのだが、案の定、反日日本人はここぞとばかりの大騒ぎ。
普段は早朝のTV番組を見ることは少ないのだが、たまたま朝早く出かける用事があったこの日、ABC朝日放送の「おはようコール」を見た。東京発のテレビ朝日なら、左翼系満載の報道をするから驚きはしないが、やっぱり関西でも系列局は同じなのか・・・ 「靖国参拝は裁判所で憲法違反という判決が出ているのに、日本の首相が参拝するのはけしからん。」
おいおい、いつ「憲法違反の判決」がなされたのだい? このように少し考えたら嘘だと分かる話を、平和にかこつけてテレビでまき散らす人物のことをとても知識人とは呼べまい。この中川氏は、朝日放送のHPによると帝塚山大学教授らしいが、その下にきっちり「元朝日新聞編集委員」って書いてある。な〜るほど、納得。 ただ、朝早くからご飯の準備をする主婦や出勤準備のサラリーマンが、何気なく聞きながら自分の考えのよりどころとしているなら、それはとても問題だ。こういう身勝手な報道の拡散が、下記のような世論を形成しているのかもしれない。 いろんな所で「進歩的知識人」がしぶとく生き残っていることを、あらためて再認識した終戦記念日であった。 |
2005年09月12日
9.11総選挙結果を考える
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9.11という象徴的な日に日本では総選挙が行われ、自民党が予想外の大勝を勝ち取った。これを日本の政治風土の転換点と捉えるか、衆愚政治の始まりと捉えるのかを現時点で判断するのは難しい。筑紫哲也と久米宏を起用して露骨に自民大勝にけちをつけるTBSは別として、マスコミ各社は国民の民意である選挙結果の扱いには苦慮している。それもそうだろう。いままで自民党への批判票を投じたときだけ「民意、民意」と騒いでおきながら、今回のように自民党への追い風が吹いたときには「日本国民の政治意識が低い」などとは口が裂けても言えまい。 多くの国民が、選挙においての何らかの決断をする。その決断の基準が人によって大きく違う。政策、容姿、浪花節の物語、テレビへの露出度、将来への期待、過去の行い・・・。本来ならば、政治は自らの生活に直結するゆえに、政策によって候補者を判断せねばならない。だが、税制や年金問題など、どれだけの人が正しく理解しているだろうか。また、その政策が未来において、必ず我々により良い暮らしをもたらしてくれるなどと言い切れるのか。結局、我々は信じられそうな人を見つけるしかない。 今回投票率が前回に比べて10ポイント近く増えたのだが、無党派層は反政権側に投票するのが今までの常識だった。だが今回は、郵政民営化を掲げた自民党議員なら、地縁・血縁が無くても無党派層の支持を得た。これは日本の政治風土が、政策重視に変わったことを現しているのだろうか。だが、鈴木宗男や辻元清美が何万票も獲得していることを考えれば、素直にイエスとは言い切れない。同じような心性が動いた選挙だと考えれば、小泉大勝すらも観客として面白いシナリオを国民が書いたと言えるかもしれない。まるで「電車男」的ではないか?インターネットで、参加型の物語が一般化されると、衆愚政治のスピードアップも図られる。 では、それらを監視するのが仕事であるマスメディアは機能しているのだろうか。第4の権力と呼ばれ、その良識を自負するなら、選挙をドラマ仕立てにしていてよいのか。選挙番組すらも視聴率重視なのか。一方、「小泉にうまくだまされたんだ」といった、国民をバカにしたような言い回しをするキャスターや評論家を使い、世論誘導に血道をあげるのも醜い。そんなに郵政民営化だけが選挙の争点ではないというなら、北朝鮮拉致問題に迫ったらどうだ。 今回の選挙の結果、自民党と公明党を合わせると衆議院の3分の2の議席を占める。これは憲法改正の発議もできるし、参議院で否決された法案も通すことができる数字である。いまこそ、きちんとした政権チェック機能が必要なのだ。内政だけでなく重要な国際問題も多い。今後、我々は、自民党が正しく改革を進めていくのかを真剣に見定めていかねばならない。たとえマスメディアが、偏向しようが、忘れてしまおうが、このことは常に肝に銘じておこう。 |
2005年08月25日
今回の総選挙に想うこと
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もうすぐ夏休みも終わるが、小学校や中学校時代には、この時期課題図書なるものを良く読まされた。たいていは興味の持てない内容の本がずらりと並ぶのだが、プラトンの「ソクラテスの弁明・クリトン」もその中に入っていたと思う。確かに中学生くらいでは難解な本である。だが、今この年になって思うのだが、10代の純粋な年代にこのような精神の高みに出会うことは非常に重要なことのように思う。「ソクラテスの弁明」の方が「クリトン」よりもよく知られていると思うが、国家や民主主義について考えるのならば「クリトン」は絶対読んで欲しい。というのも、今回の郵政民営化法案の否決から総選挙へ至る政治的状況について、政治家やマスコミがあまりに非論理的な言説を振り撒いているからである。 では、簡単に「クリトン」について書いておこう。 ソクラテスはアテナイの人々の持つ感情的な不安により、捕らえられ死刑判決を受ける。クリトンは手を尽くしソクラテスを逃がそうとするのだが、彼は自ら死を受け入れる。これは『国家の決めた法律が個人の都合で破られることを認めてしまうと、国家そのものの理念が破綻してゆく』という思想だと理解されることも多いが、それならば、悪法にも僕たちは無批判に従わなくてはならなくなる。ソクラテスはそうは考えていない。とはいえ、虐げられし弱者である一般民衆は国家権力に対峙しなければならない、社会民主主義革命万歳!的衆愚政治の危険性も十分に理解している。ではなぜ彼は死刑判決に従うのか? ソクラテスはアテナイが個人に与えている自由を尊んでいる。そしてその恩恵を受けて、アテナイに居住し活動していた。もしも自らがアテナイに対して不満があるのなら、そこから出て行くこともできたわけであり、そうしなかったことは自らの意志で国法に従うことを承認したことに他ならない。つまり、自らで決めたこと(承認したこと)の結果を受け入れず、その時々に自分勝手な理屈をこねることは、たとえ命を落とすことになろうとも、彼の従う『よき生き方』とは相容れなかったのである。 ソクラテスのこの生き方を見た後で、今回郵政民営化法案に反対した議員たちはどのように僕たちの目に映るだろうか。彼らは前回総選挙のマニフェストに同意して自民党公認候補になったはずである。従って郵政民営化には反対ではなく、小泉首相が自分たちの意見を十分聞かないで、今回強硬に法案審議を打ち切り採決したことに反対していると主張する。だが、議員全員のコンセンサスが得られないと法案が議決されないというのであれば、多数決の意味など無いのではないか?議会制民主主義という多数決方式を認めておきながら、自分たちの少数意見が聞いてもらえなかったといって多数派を強権だと非難するのは決して『よき生き方』ではないだろう。 また左翼系マスコミ(いわゆる朝日系ですね)や野党(特に社民党のような存在価値の無い政党)などは、こうした自民党内の分裂を大きく騒ぎ立てて、小泉首相が独裁者であるかのようなイメージを誘導することで自民党を敗北させたいようだ。だが、百歩譲って法案反対派議員への粛正が独裁者的であると認めても、この問題は自民党内部の権力闘争なのであって、小泉首相を独裁者呼ばわりすることができるのは自民党議員や党員だけのはずだ。それを、尻馬に乗って部外者がとやかく言うのは、心に一物持っているからだろう。 とはいうものの、ソクラテスの言う『よき生き方』を実践するのはとても困難だ。ソクラテスも、「大衆には最大の災悪も最大の善福も作り出せはしない・・・彼らにできるのは、何にしてもその場限りのことなのだよ」(クリトン)と言っている。選挙の度に、議員諸氏がその場限りの運動に汲々としている姿を見るにつけ、本当に思想を持って活動している人が日本を導いてくれるのか?と疑問を呈さずにはいられない。ここまでは肩を持った小泉首相にしても然りだ。どうして彼は8月15日に靖国神社に参拝しなかったのか。おそらく世論の動向を見て、このまま遺族会の票が無くても選挙に勝てると踏んだのだろう。彼もまた、国家に対する思想など微塵もないのだ。自らの支持団体欲しさに靖国参拝をして、そして今回のように簡単に裏切る。選挙で一票を投じることが国民の義務とはいえ、「良く生きる者だけが良く死ぬことができるのです」(クリトン)と政治に命をかけるような候補者が一人もいない現状では、日本の未来も暗いといわざるをえないだろう。 |
2005年07月28日
日本の戦争責任考
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♪夏が来れば思い出す♪ のは遥かな尾瀬ではない。日本の戦争責任論である。ついさっきまでバカなお笑い番組を流していたにもかかわらず、渋い顔のニュースキャスターが戦争への謝罪がどうのこうのと発言する。残虐行為を反省させるべく洗脳教育を施した中国の収容所にいた日本軍兵士を登場させ、中国人の度量の深さなどをことさらに強調する。彼らキャスター(筑紫や古館のこと)は日本人の意識をどの様にリードしたいのだろうか。中国や韓国がいうとおり、日本人は人種的に残虐な民族だと認めたいのか。 だが、彼らのような感情的な見方を排して日本の戦争責任を考えることが、今こそ重要なのではないだろうか。そのために、いくつかの論理の分岐点があることを示しておこう。 まずは、東京裁判を認めるのか? 国家間の紛争は、世界征服などという狂気の独裁者が行わないかぎり、双方に幾ばくかの理がある。まさしく国家の存亡をかけての資源や国土の取り合いについては、公平な視点など無いのだから裁判で決着させることは無理だ。そもそもそのような問題を持ち込む法廷がないがゆえに、戦争をするのだ。 にもかかわらず、日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れたのか?
小林よしのりなどは「講和条約ではjudgements、つまり裁判結果は受け入れるとは言ったが裁判そのものを受け入れたのではない」と考えている。また一方で「結果を受け入れたと言うことは、東京裁判そのものを受け入れたことなのだから、A級戦犯などに対する中国・韓国の批判に答えるべきだ」と考える人達もいる。 とすれば、日本の責任とは他国民を殺傷したことにあるのか? たしかに自分の親や子を殺された者たちにとって日本軍は殺人者である。民間人であればなおさらそう思うだろうが、20世紀の戦争は非戦闘員を殺傷することにより国家にダメージを与える戦法へと変遷していった。戦闘員同士の戦いという騎士道精神など遥か過去の遺物と化したのである。それゆえ、戦争という場での他国民への殺傷は当事国全てが行っていることであり、敗戦国のみに責任があるわけではない。戦争状態の中では、お互いが人間にあるまじき行為をしてしまうがゆえに戦争は悲惨なのであり、互いに殺傷の責任を言い合っても何ら解決にはならないのだ。 結局、こういう悲惨な戦争の解決方法としては、とりあえずは国家間の賠償しか方法がないのではないか。人の心の悲しみや恨みといったものを、日本国民全てに負わせることなど不可能なのである。戦争をしていない世代が大部分を占めてきている現在、日本責任論は中国や韓国の外交カードになっていると言うことを十分認識しなければならない。謝罪では何も解決しないしにもかかわらず、この時期だけもっともらしいことを言うキャスター達にうんざりするのは僕だけだろうか。 追記 以上のように書くと、誰にも戦争責任が無いと言っているように思われるかもしれない。しかし僕の考えは、「日本という国家は、相手国に対して賠償する以上の戦争責任が無い」というものだ。戦時国際法であるハーグ条約やジュネーブ条約違反をした者や、上官の命令もなく略奪・殺人を行った兵士は当然ながら個人としての戦争責任に問われる。また、愚かな戦争を始め、多くの日本兵を無駄死にさせた軍幹部などは、日本人が自らの手において裁くべき問題だった。それが、東京裁判が行われたことで、日本人自らが裁く場を奪われてしまった。よって我々は、戦後60年経った今も被害者のままである。自らが戦争に決着をつける機会が無かったがゆえに、民族的尊厳を取り戻すことができず、その結果中国や韓国に揺さぶられ続けているのである。 |
2004年08月19日
日本はアメリカの占領国なのか?
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8月13日午後2時15分頃、米軍ヘリが沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学の敷地内に墜落した。米軍基地があり、さらにヘリコプターは空を飛ぶのだから墜ちることもあるだろう。沖縄だけではなく、このような軍事基地(自衛隊も含めて)近くの住民は常に危険にさらされている。だが日本を守ることを日本人が禁じているのだから,日米安全保障条約のもと米軍がわがもの顔で日本上空を飛び回るのも仕方ない。(日本人よ、早く目を覚ませ) でも、民間の土地に墜落した以上、それらの調査・捜査は国土の主権を持つ日本にあるのは当然ではないのか?それを警察の捜査を許さず、学校関係者(つまり自由に自らの土地を往来しても良い人達ですね)の行動まで制限するとは、地位協定か何かは知らぬが日本もなめられたものだ。思いやり予算やら、なにかと米軍のためにしてあげた結果がこんな仕打ち。おそらく世界中の人々が、日本政府はアメリカの傀儡政権だと気づいてしまったんじゃなかろうか?日本人だけが気づいていなくてね。 米軍は自らの犯罪を隠蔽しようとしているのだ。彼らが現在イラクで行っていること同じだ。だがイラクの場合、現在は戦場であり代表すべき国家機関が存在しないから、米軍が代わりを務めるという言い訳もまだ通るかもしれない。それでも、勝手に攻め込んで行きながら、自らの失敗をこそこそと隠蔽している恥知らずな態度は許せないと世界中が感じている。 で、主権国家として世界で認められている日本が、どうして米軍さんの勝手なやり方に辛抱しないといけないの?彼らは、言うことを聞いているうちは友達みたいにつきあってくれるけど、ちょっと対等にタメ口などきこうものなら急に豹変して殴りつけてくるんだよ。品がないよね。僕ら日本人の美意識にある謙譲の精神というものがこれっぽっちもないのだ。米軍っていうのは、何でも力で押さえつけることを最高のヒューマニズムと考えている、頭の悪い宗教団体と同じだ。だから、それらを操っているアメリカ政府に対して、日本政府はもっと教育しろと圧力をかけないといけないのだ。このままほっておくと、オウムのサリン事件みたいに今以上に日本人が傷つけられていくよ。 |
2004年05月10日
イラク人質問題 3
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イラク人質問題は、国会議員が国民年金を払った払っていなかったという馬鹿話で主役の場を奪われたようだ。だが、総括の意味で再度イラクでの日本人の問題を考えてみたい。 イラクで拘束されていた郡山さんは自らの責任について問われると、「ジャーナリストは危険だからこそ現場に立って伝えるものがある。リスクを背負っているのだから、僕らには当てはまらない」と話した。さらに、午後8時から日本外国特派員協会で開かれた2回目の会見では、「信念、自信、誇りを持っており、自己責任とか自業自得とか言われるのは心外」としたうえで、「今回、取材は何もできなかった。準備ができ次第、また(イラクに)行きたい」と述べた。 自分への批判に対しての不快感を何かしら表明するために、郡山さんはこのようなことを言ったのだろうか?だが、僕は彼が何を言わんとしたのかが良く理解できない。危険地帯に行こうが安全な街を旅行しようが、危険が降りかかる確率がゼロでない以上、自己責任はどこにいてもついて回るはずだ。だから、自己責任が当てはまらないなどと頓珍漢なことを言わずに、「自己責任は当然であり、拘束されたことを自分自身の行った行為の結果として受け入れる」といえば良かったのだ。 ただ、きちんと確認しておかねばならないのは、日本政府は個人がどの様な目的で外国にいようと、不測の事態の折には国民を助けなければならないと言うことだ。そして、その結果を我々は受け入れねばならないと言うこと。日本政府が助けようとしても助からない場合もあり、その責任を国家に転嫁しないと言うことが自己責任の意味だろう。 ただ、拘束された人達がどの様な思想信条を持っていようが、彼らの身に起こったことを政治的に利用することは論点のすり替えだ。自衛隊を撤退しないから事件が起こったという理屈を言うなら、そんな危険地帯に無防備で出かけていったから事件が起こったのだという理屈も言える。自己責任のあるなしに話をすり替えて対立する前に、国家そのものの原理をよく認識する必要が我々日本人にとっては緊急の課題であるように思える。 |
2004年04月20日
イラク人質問題 2
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日本人の人質5人が全て解放された。ただ、反国家的な意見の持ち主のイラクでの活動ということで、彼らや家族に対して非難も多くあがった。だが、筑紫哲也をはじめ左翼系の言論者は、この機を利用して、日本が自衛隊を派遣しているから民間人でも日本人がねらわれるという世論誘導に躍起になっている。しかしもっと本質的な問題は、日本人が(当然マスコミも含めて)民主主義という思想の本質を理解できていないのではないか?と思えることである。 国民は移動の自由がある。言論の自由もある。だが、全ての国民が同じ意見や行動をするわけではない。お互いの利害がぶつかり、争いが起こることは容易に想像がつく。その時に、暴力で他人の意見を押さえつけるよりは、話し合いを行なった上で多数決により意見をまとめようというのが民主主義の方法である。だから、少数意見が採り上げられないという点で、プラトンが言うように民主主義は決してベストな体制ではないのである。少数者が多数者の意見に従うという了解がなければ、そもそもこの体制は存続できないのだ。 イラクへの自衛隊派遣に反対することは自由である。また、イラクでNPO活動も自由である。だから、イラクでの人道活動や報道活動をおこなっている国民を国家はいかなる理由にしろ保護する義務がある。だが、かれらがその活動を通じて、イラクでの日本の活動を間接的にしろ妨害するようなら、正当な承認無しに国家の政策を変更することになる。現政権が多数に承認されている以上、政策に反対することは現段階では少数意見なのだから。 ここまで考えると、人質への批判が実はねじ曲がった解釈によるものであることがわかる。イラクでの無謀な活動で人質になったことが政府政策への妨害だ、というような心情的世論が形成されたのである。だが、彼らは決して自ら望んで人質になったのではない。結果的に、イラクの武装組織のプロパガンダに利用されたとはいえ、それを反政府活動だとは言えないだろう。だから、やたらと自己責任や費用負担を持ち出すのは品のない話だ。公明党も宗教と関係あるのだったら、大いなる慈悲心で金のことなど持ち出さないで欲しい。 アメリカがひどい武力行使をするのは、今に始まったことではない。ヒロシマ、ナガサキを思い出すだけで十分だろう。イラクでも民間人が巻き込まれることなどお構いなしだろう。だから、イラクの武装組織も報道機関を標的にするのは得策でないと思う。事実の報道が、アメリカの傍若無人な行動を抑制することになるし、ひいては日本の世論も反アメリカへと誘導できるはすだ。それこそが民主主義的な方法での政策決定であり、マスコミ報道の役割なのだ。(ちゃんとわかってますか?筑紫さん)民主主義は国民が自らを律することによってしか正しく機能しないことを、日本人はよく知るべきである。 |
2004年04月14日
イラク人質問題
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イラクでNPO活動、報道活動をしていた3人の日本人が、4月8日に人質として拘束された。テロ組織はその後、人質解放を解放すると発表をしたが、4月13日現在でも彼らはまだ解放されていない。 日本人人質事件が起こるまで、マスコミも犠牲者に対して対岸の火事的な報道だったのだが、3人の日本人が脅かされているビデオが流されるやいなや、報道は一気にドラマ化した。しかしながら、今や標的はアメリカ人だけでなくイタリア人・カナダ人・韓国人・ロシア人など18カ国もの外国人にまで広がっている。このような現在のイラクは、いまだに戦争状態であるのは誰の眼にも明らかなでのはないだろうか?だが、人質救出に対して冷徹な態度の政府と、悲しみに打ちひしがれ抗議する家族という善悪二元論的な見方では、現在の状況は一向に見えてこない。 政府の介入しえない活動をNPOが行う意義は大きい。しかしながら、目的の崇高さと遂行手段の問題は分けて論じられるべきである。その意味で、彼らの危険地帯での活動方法はきちんと確立していたのだろうか。奥大使らが殺害されたイラクがかなり危険な状況であるということは、そこで活動している人達は十分に認識しているはずだ。そもそも、イラク支援事業に武器を携帯した自衛隊が送り込まれたのも、自らを守れる組織だからである。危険地帯での活動を望むならリスクも背負うべきと考えるのは、自己責任という視点からも当然だろう。 だが民主国家を標榜するなら、彼らを決して見殺しにはしてはいけない。なぜなら、彼らも国家を構成する国民であり、政策を議論・決定する権利を有しているのだから。政府は情報収集・交渉など最大限の努力をして、自国民の救出には当たらねばならない。主権者を軽視することは民主国家の原理に反する。 では人質解放の条件として、政策の転換の要求(自衛隊の撤退)をすぐに受け入れる必要があるのか。確かに人の命以上に大切なものはないとの考えもある。だがそのことを主張するなら、国民の多数の支持を得た政権が決定した政策に対して、それらを覆すだけの論理を国民に提示する必要もあるはずだ。人質となった彼らの活動が、政策以上に価値あるものであると大多数の国民が納得しないといけない。本人達が語れない以上、その役割は家族にあるはずだ。そしてそれを伝える使命が報道機関にはある。だがTVでは情動的な心理を利用して、勝手なメロドラマを作り政治をコントロールしようとしている。それゆえ、現在の人質家族の言動とそれを報道するマスコミの態度には共感できない。 人質の命は失われれば元に戻ることはない。助かる可能性があるかぎり、我々は救出のために時間や費用を掛けることを政府に求める。だが、命を無制限に価値のあるものと仮定すれば、それに釣り合うものなどこの世には存在しない。今回の人質には身代金問題が出てきてないようだが、もしも1億ドルといった個人的に支払が不可能な要求が提示されたときに、人々は税金の使い方としてこの問題をどの様に判断するだろうか?それらのコストを当然負担すべきだと、人質家族は国民全員の了解を取り付けることができるだろうか?実のところ経緯の如何にかかわらず、国家が人質を助ける理由は国民大多数の慈悲心に依存しているのではなかろうか。 しっかりした意志を持った行動をすればその人達は尊重されねばならないと、そんな自己中心的な考え方が今の日本には蔓延している。例を挙げればきりがないが、このようなことがあった。宮崎県の高校3年生今村歩さんが、イラクへの自衛隊派遣に反対の署名を単独で5千名以上集め、それを持って2月2日内閣府を訪れたときに小泉首相に会見できた。その際小泉首相は自衛隊派遣の正当性を述べ、彼女の行動に対して批判的な言葉を述べたと報じられた。だが日教組は小泉首相のその言動に対して、彼女の行動を尊重すべきだというように批判をしたのである。イラクへの自衛隊派遣が良いか悪いかはそれぞれの立場での違いがある。その違いを認め尊重することは、内容はどうであれ高校生が一生懸命やったことを褒めてやれと言うこととは全く違う。より良い日本の在り方を論じるべく、立場の違いを超えて新たな方策を見つけるよう努力せねばならないのに、自分の努力が何にもまして素晴らしいという自己中心的な考え方は、お互いの対話の可能性を失わせてしまう。ましてや、人質事件のような困難な問題を解決する際に、自分勝手で自己中心的な判断は、容易に政治的なプロパガンダの力学に呑み込まれてしまう。今なさねばならぬことを、人質・家族・国民・マスコミ・政治家はそれぞれの立場でもっと考える必要がある。 |
2003年12月24日
ちょっと勘違いと違う?
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藤岡信勝氏が産経新聞で朝日新聞の自衛隊イラク派兵反対キャンペーンへの批判の中で書いていたことだが、自衛隊にいる彼氏を戦地へ行かさないようにするために、イラク派兵反対の街頭署名を集めているという記事が12月11日付の記事に出たそうである。朝日が理屈よりも人の情に訴えて自分たちの理念の正当性を宣伝するのは今に始まったことではない。でも、これはひどいんじゃないの? そもそも日本は徴兵制の国じゃないんですよ。自衛官の彼氏が彼女の言うことに納得できたら(理屈でも情ででも)自衛隊などさっさと辞めればいいし、そのことで何のデメリットもない。「男と女のラブゲーム」の世界を、イラク派兵反対といった政治的な問題へとすり替えて、立派なことをしているかのように錯覚させている朝日というジャーナリズムは節操無さ過ぎじゃないか。むしろ、勘違いしている女性に対して、街頭の署名活動をするよりも彼氏を説得すべきだと忠告すべきであり、自分の彼氏を止めるための署名活動とはあまりにも自己中心的な身勝手さがそこにあるんじゃないかと批判してやるべきなのではないか。 現在の日本のていたらくは政治家が商売人の手先となって、アメリカに儲けさせてもらった歴史の中に原因がある。そして、それらを許してきた日本の国民にも責任がある。こうした身勝手さは、街頭署名に向かう派兵反対派だけでなく、大多数の日本人がそうである消極的イラク派兵賛成派にも見受けられる。僕自身は、アメリカ軍の言うなりにならないように、日本がきちんとした軍備をもって日米安保を相互にとって公平なものにすべきだと思う。その上で、国際貢献を行うような中立国となるのか日米同盟を堅持するのか国民投票でもすればよい。(但し、国連というのは、今のところ世界平和に有効な組織ではない。)だが反対賛成を言う前に、日本人の美徳である誠実さをもって、今後の日本の進むべき道を十分に議論せねばならない。 |
2003年12月23日
平和の理念
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先日「たけしのTVタックル」でイラク派兵の問題を自民党・民主党の代議士がディベートしているのを見た。番組の中で、今更どうでもいい社民党に意見を聞きに行くのは、TV朝日の体質的な問題だから、これはまた別のところで論じよう。しかし、社民党の代議士がかなりひどい平和論を語っていたことは問題だ。 それは、平和憲法に関する見解である。日本国憲法は非常に曖昧だからいかようにも解釈できよう。だからといって、国家が現実の国際社会の中に存在している以上、国際関係の通念を無視した解釈はあり得ないはずだ。彼女(社民党代議士)は言った。「武力を放棄し戦わないことを世界に表明することはすばらしいこと。ガンジーやキング牧師も無抵抗、非暴力主義で世界から尊敬を受けたではないか」と。 個人的に言えば、非暴力主義はすばらしい理念であると思う。しかし、それは大多数の人間にとって実際に行動することがほぼ不可能であるが故にである。そもそも、ガンジーにしてもキング牧師にしても、個人的宗教心によって自らを律していたからこそ理念をそのまま実行することが出来たのだ。人間を超えた存在に対して自らを律することで命をも投げ出せたのだ。ガンジーもキング牧師もテロリズムにより殺されたことを巧妙に隠して理念の崇高さのみを喧伝するのは、まったくもって卑怯極まりない!社民党や左翼を気取るインテリよ、君達のことだよ。 国家は国民無くして成り立たない。個々人が、倫理観から、宗教意識から非暴力主義を遂行することはすばらしいことだ。しかし、国民を保護すべき国家が、国際社会といった相互理解が完全になされない場で無抵抗を標榜することは、国民に対する義務を放棄することになる。我々は、暴力と非暴力の狭間のグレーゾーンに生きることを政治的に決めるしか方法はない。そして、その政治的ということが対話的と言うことを忘れないようにしよう。 |
2003年12月06日
031129
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イラクで殺害された奥克彦大使(45・参事官から昇進)と井ノ上正盛1等書記官(30・3等書記官から昇進)の葬儀が本日行われた。ゲリラ行為が毎日頻発しているイラクの地にあって、彼らが何故万全の対策をしていなかったのか?という疑問もある。日本政府が、文民である彼らに対して、自国による護衛すらつけていないことに憤りも感じる。アメリカの尊大な態度を批判することなく、ただ盲従する日本の政治家の姿に対して、なんの関心も見せない多くの国民に絶望感も抱く。 だが、彼らは何の国家戦略を打ち出すことの出来ない日本の政治状況の中にあって、個々人の崇高な倫理と責任によって行動していたのだと信じる。アラブ世界に精通していたが故に、イラクの人々を信じたい気持ちが少しの油断を招いたとしても、誰がそのことを批判できようか? この日を僕たちは忘れないようにしよう。家族を残して亡くなってしまった両氏はいかに無念だったろうか。さらに残された家族の悲しみは一生消えることはない。しかし確固たる国家の方針をもたなければ今後もこのような悲劇は続く。それも、国民全体が危険にさらされると言うことを、僕たちも覚悟しておかねばならない。 今必要なことは我々日本の正しき道を示すこと。それも早急に!自衛隊は軍隊か?憲法9条は絶対的に日本の国家必要なのか?などといった些末なことで議論を止めている時間はない。奥大使や井上一等書記官の子供達が胸を張って生きていける国家にするには、僕たち総てが自覚と責任に心して未来を決していく必要があるのだ。 |