2009年02月14日
夜会 VOL.15 「元祖・今晩屋」
2008年03月17日
THE POLICE LIVE 2008
2006年03月24日
ギターのレストア
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少し前なのだが、ペグの交換に出していたアコースティックギターが帰ってきた。京都西陣にあるDAILY TONE+ Guitarsという、一人でギター製作をしている方の店に出したのだが、なかなか親切にしてもらった。弦を張ったまま放置していたためネックが反り気味だったのも、ついでに少し手直ししてくれた。 ここのところ忙しかったので、やっとこの前の日曜日に弾くことができた。ギターは昔友人からもらった"Humming Bird" という東海楽器のものだ。クィーンのブライアン・メイが「オペラ座の夜」の中で弾いたのが、日本ツアーの時に買った7500円のハミングバードらしい。このギターはピンからキリまであるみたいで、僕のがどれくらいの価値のものかははっきり分からないのだが、音は結構気に入っている。レストアしてもらって、さらに響きが良くなったようにも感じる。これからはギターおやじを目指すつもりだ。(できたらね・・・) |
2005年04月14日
60年代とみゆき (魔女解胎より)
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暦ではなくエポックとしてみた場合、60年代とはいつからいつまでの期間のことを言うのか?1960年6月15日の全学連デモ隊の国会突入から1970年6月23日の日米安保条約の自動延長までの期間を、ひとまず60年代と考えたらどうだろう。「闘争」と「挫折」の時代としてである。 60年代が大衆の政治闘争の時代であったのは確かなことであろう。しかし、党派主導の方法が矛盾を露呈し、崩壊していった時代でもあったのである。そのような変節は、党派内においては論理的な帰結であったかもしれない。だが、社会的に見れば、日本社会の構造が高度成長によって急激に変化し、それに伴い大衆意識も変容していった結果、いわゆる「知識人」と「一般大衆」の意識が乖離していった結果であるのだ。すでにこの時期に、労働者と資本家の対立という旧来の社会思想ではとらえられない問題が噴出していたのである。ただ、多くの知識人は「知識」による社会変革こそが重要だという考えに固執し続けていた。 1952年生まれの中島みゆきは、1970年に18歳、帯広の柏葉高校を卒業し、札幌の藤女子大学に入学した年である。「この世で一番醜いのは人の心、そして、この世で一番美しいのも人の心です」この言葉は、中島みゆきが高校の卒業時の寄せ書きに書いた言葉である。彼女が中学生・高校生をすごした60年代の後半から70年代の前半は、学生運動が全国的に急速に盛り上がり、そして袋小路に入り込んでいった時期に当たる。「激動の時代」と言えば、世間一般的には大げさに聞こえるかもしれないが、その年代を過ごした青年達にとっては、「激動の時代」だったと言えるのではないだろうか。この言葉を読めば、彼女が的確に時代を捉えていたことがわかる。 <人は皆、全ての人の幸福を望んでいるのか?自分の利益につながる場合のみ、他人と連帯しようとするのではないのか?かと言って、違った意見を許さないイデオロギーが人を幸福にできるとは思えない。それならば、やはり他人の心を信じるしか、この世で人が幸福になる道はないのではなかろうか?>18歳でこのような深い絶望の深淵をのぞいてしまった彼女が表現者となった時、60年代のペシミスティックな陰影が彼女の詞を覆うことになるのは必然的である。そして、まさに「私」や「あなた」という個人の心を歌うようになるのも必然的である。 だが、まれではあるが、彼女はいくつかの詞の中で、当時のそうした活動に対しての直接的、間接的に言及することがある。その中でも、もっともはっきりした表現で歌われているのは、1978年4枚目のアルバムに収録されている「世情」であり、その後出された1988年のアルバム「中島みゆき」の中の「ローリング」であろう。そして、この二つの歌詞の間に横たわる時代感覚が、60年代と70年代の差異である。僕自身は、中島みゆきのように<夢のなれのはて>を同時代で見届けたわけではない。しかし、1970年代を青春時代としてすごした者として、彼女の時代に対する閉塞感は理解できる。 20世紀も終わろうとしている現在。60年代の失敗から我々は本当に何かを学んだのだろうか?相変わらず、自分の方にしか眼を向けず、社会変革を誰か任せにしてはいないだろうか?自己の精神を革命することなくして、真の幸福が得られないのではないか?中島みゆきの歌を聴く度に、様々な想いが僕の中に巡り来るのである。 1997/02/14 |
2005年04月13日
劇評 「問う女」 (魔女解胎より)
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中島みゆきが、客席の通路を通って視界から消え去った後、彼女の「問い」は、その場に居合わせたすべての観客へと投げかけられた。しかし、その「問い」の意味を考える前に、前回・前々回の舞台との違いを確認しておくことが重要であろう。「シャングリラ」「2/2」と、ギリシア悲劇を思わせる壮大なドラマツルギーは今回の舞台では影をひそめ、カタルシスも観客に与えられることはない。この中吊り状態の中で、観客は戸惑い、彼女の言葉一つ一つを思い起こし、それに何か意味を見いだしたいと思索を始める。それゆえに今回のこの変化は、テーマに根ざした必然性ととらえることもできよう。 「問う女」の舞台全般についていえば、完結した歌が減り、台詞と歌の境界が曖昧になり、より演劇に近づいたという印象である。「夜会」というものが実験的なものである以上、様々な試行錯誤が舞台に積み上げられている。そして今回のテーマは「言葉」であった。僕達が空気のように当然と考えているこの「言葉」が、実はコミュニケーションにとって何の役割も果たしていないのではないか、という「問い」がここにある。僕達はふつう「コミュニケーションがとれた」と思う根拠を、お互いに話していることが理解できるという点に置いている。しかし、話している言葉は、決して相手に好意的なものばかりではない。さらに、「言語」が本当にコミュニケーションの根拠たり得るのかという、ウイドゲンシュタイン的な問いも頭をもたげる。 <二万六千円>という娼婦との交流は、お互い相手の言葉が一切理解できない状況として描いている。それは、僕達に言葉というものが、それだけでは決してコミュニケーションの道具足り得ないことを印象づける。僕達はなぜ「わかりあえている」と断言することが出来るのか。本当は、話し相手は全然違うことを考えているのではないのか。実は、彼は私をだまそうとしているのではないのか。こうした疑問に「否」と答える根拠は、言葉の内部からは出てこない。むしろ、言葉への「信」は、言葉を話そうとする衝動こそが支えているのである。このように考えたとき、中島みゆきの「問い」は、日々反省することなく過ごしている人類全体への痛烈な批判であり、その解決は、決して舞台上で完結して表現できぬものなのである。それ故に、この「問い」は、中島みゆきの歌と台詞を通して舞台から観客へと投げかけられたのである。 舞台後の観客の足取りは重かったと思う。あなたと私、私と彼、彼と彼女・・・こうしたコミュニケーションの支えとなっているものを、自分自身の中に見つけない限り「問い」に答えることは出来ない。そして、その「問う」という行為は、日々の暮らしの中で決して完了することはない。一度、コミュニケーションの裂け目を気づかされてしまった僕達はどのように「信」を作り上げればよいのか。中島みゆきの言葉の中に、その答えのヒントがあるのか。様々なクエスチョンが、この舞台を見終えた観客に湧き上がってくることだろう。そして、そうなることが今年の「夜会」の目的の一つであったのであろう。僕達は、厳しい問題を突きつけられたのである。 最後に、ストーリーで少し引っかかる点があったので少々私見を述べてみたい。<二万六千円>という娼婦が怪我をして、HIVのために治療を受けられず死んでしまうのだが、HIVであるという事実が、あまりにも唐突に出てきたように感じられた。<二万六千円>は外国人娼婦として、日本から拒否され死んで行く運命にあったということで十分だったのではないだろうか。また、主人公がJBCを去らなくてはならなかった理由も、そうしたスキャンダルに対しての事勿れ主義を決め込むマスコミのいい加減さに帰した方が、ストーリーに一貫性を持たせられたのではないだろうか。私としては、HIVの問題や従軍慰安婦の強制連行の問題といったものは、通り一遍でなく、正面から中島みゆきには取り上げてもらいたいと願っている。とにもかくにもこの「夜会」が、すばらしい表現を生み出し続けていることは疑い得ない事実である。 1996/12/09 |
2005年04月12日
みゆきとエロース (魔女解胎より)
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恋愛と失恋は、恋(=エロース)の「図」と「地」である。エロースとは何かを指向することであるから、恋は手にはいる場合もあれば、逃げてゆく場合もある。人間の生は、そのようなことがらの集積である。したがって、「恋愛」を歌うことと「失恋」を歌うことのどちらが良いかなどと問うことは、無意味なことだろう。 しかしながら、「図」を歌うことと「地」を歌うことは、その表現において大きく違う。恋愛の歌は、まさに現在形としての「光」の部分に焦点が当てられ、否定的な言葉が歌われたとしても、「光」の中での切なさや重苦しさである。未来への不安はあっても、現状肯定的なのである。しかし、失恋の歌は、「影」を歌うことで、逆に過去にの恋愛に強烈な光を当ててしまう。そして、現在の喪失感をいっそう強く意識させるのである。 中島みゆきの「怨歌」は、その「救いのなさ」の表現において徹底的である。そして、そのことが彼女の詩人としてのすばらしさである。普通、人は、そこまで歌わなくてもよいのではと思うのだが、そこまでの表現ができるからこそ、彼女の歌には未来への希望が垣間見えるのである。『肩に降る雨』で歌われているように、どんな絶望の中ででも、生きている自分の存在こそが未来への希望であると、みゆきは僕たちに語ってくれているような気がする。 1996/10/01 |